書物蔵

古本オモシロガリズム

ほんとは前文をもつ法律はたくさんたくさん(^-^;)

前文をもつ法律は憲法教育基本法ぐらいではないか、とつい書いちまったわけだが…
フィクション日記「続・航海日誌」の2006年9月18日(祝)の条に、たくさんありますよとのご指摘が。
あれま、これは失敗。事実誤認のご指摘、ありがたう(^o^)/
たしかに昭和20年代には憲法教育基本法など少しだったけど,その後,ちらほらとあるみたい。
これはきっと,

昭和20年代の事実をふまえた館界の言説が,司書が法律オンチということもあいまって近年まで保存されてきた

という怪現象であろうと見た(・∀・)/
古語が青森や沖縄で保存されてるのと同じことなり。っていーのか ( ^ - ^ ; ) 館界は法学知識の辺境,法学文化の果つる地ということが実証されちまったわいわい(´・ω・`)
でも,こーゆーモノイイはありがたいのきわみなり〜

前文の法的意味

「前文」がついていると、なんだかありがたい気分になるからねぇ。剣呑けんのん。
わちきも、館界中心主義に染まってたというわけだわさ。法律シロトなことがばれた(^-^;)アセアセ
法律「前文」の法的効力の有無については、わちきは「ない」のかと思ってたけど、調べてみたら、いちおう法律としての規範力はあるけど、その「法規範性が直ちに裁判規範性をもつか否か」で学説がわれているらしい。(現代法律百科大辞典 / 伊藤正己. -- ぎょうせい, 2000.3 v.5のp.141-142)
否定説は、前文は抽象的すぎるので本文各条項を解釈する際の指針にしかならないといい、
肯定説は、本文にだっておなじぐらい抽象的な条項があることもあるから前文というだけで裁判規範性がないとはいえないという(以上はわちきの理解)。
日本の最高裁は前文の裁判規範性について明確に述べたことはないという(2000年段階で)。
ちなみに、このような法律の形式を整える知識体系を、たしか「立法技術」といったような。18ヶ国語ができる人に1冊もらったんだけど読んでないなぁ。一生読まないかも(・∀・)

附論1 国会図書舘法の前文

じつは起草の段階では条文のなかにあったという研究があると読んだ。三浦先生の文章だったかな? たしかやっぱり原先生の本だったといってた気が… 斜めヨミで憶えてない(-_-;

附論2 話はズレるが軍事史

戦争史の議論をよむと、かならず次の3つの観点がごっちゃになって記述されていて、結局なにがなんだかわからん、ということが多い。

  1. 軍事学(人殺しの効率性:技術水準によって出来ること出来ないことが変わる)
  2. 法学(戦時国際法:成文化は途上で、慣例に依存して変わる)
  3. 倫理・道徳(「世界が平和でありますように」という念仏。政治的には一定の効果)

過去の戦争についての議論は、とりわけ、良いことしたい人たちがやると、1を無視し、2の議論をしてるつもりがいつのまにか3の議論にすりかわっていることがほとんどで困る。
軍事オタクや職業軍人自衛官)は1しかせんし。防衛大とかでは2もやっているんだろうけど。
一度、ある政府系シンクタンクのリポートを読んだら、旧ユーゴだかの空爆に関して、2で議論してたのに、いつのまにか1の話になっていて、ハァ?と思ったことがあったよ。
結局、民主日本も帝国日本同様の失敗におちいってしまいそうな気が。
日本の場合、国際法に秀でた人が戦争論になぐりこみをかけると、右派も左派もなでぎりにできるんだがなぁ(・∀・) はやくやるべし。
戦争とか、道徳的・倫理的にプラス・マイナスがいかにも明らかそうな領域でこそ、法学的思考が生きるような気がする。
教育関係法規の前文も、3の観点で読まれすぎてるのでは。図書館法規の解釈も、自分が素直に考えたことが果たしてつぎのどれがどれぐらい入ってるかをリフレクトすべきと思うよ。

  1. 図書館技術(出版物や書誌DBの技術的限界や可能性)
  2. 法学(公判を維持できる程度の法曹実務的観点)
  3. 倫理・道徳(思い入れ 専門職倫理もどきだったり、個人の趣味だったり)