書物蔵

古本オモシロガリズム

皇道図書館学はいかに? 精研・附属図書館

畏友に教へられた文献にあたってみた。

国民精神文化研究所の図書館--教学錬成所・教育研修所にいたるまで / 鳥居 美和子
現代の図書館. 24(2) [1986.06]

この、鳥居 美和子 って人は、なんと! 昭和50年代に退官するまで附属図書館に勤めていた人なのじゃ。
その人の手記みたいなもの。1次史料に近いね。

精研と、その附属図書館

昭和7年設置の文部省直轄研究所のひとつ。マルクス主義に対抗する理論をつくらんと設置されたものらし(国史大事典による)。
あ、そうそう「精研」ってのは当時の略称みたいだよ。
事業部と研究部にわかれていて、事業部では教員のリカレント教育(・∀・)とか赤化学生の再教育なんかをやっていた。鳥居さんによれば、定員は100人前後。場所は目黒駅そばの今の植物園のとなり。
研究部では出版とかやってたらしいけど、かなりアヤシイこともやってたってのは畏友の「鈴木庫三クラブシュメール」ってブログ連載にあた(^-^*)
図書室は最初、研究部に属していたけど、鳥居さんによればその後すぐ図書館と称して研究所直下になったらし。
昭和10年に1万冊の蔵書が、翌年、鉄筋コンクリの書庫を建てて、昭和17年には7万5千冊になったそうな。
図書館はタイピスト含め、5人、のち7人。うち女性3人が図書の整理をしていた。
鳥居さんは昭和9年図書館講習所を出て、昭和10年に入所。
初代の図書館主任は、シカゴ大学帰りの河村只雄 (1893-1941)。 次席は本間信一郎って人でドイツ帰りだったらしいんだけどこの人は急死しちゃってて、このブログで言及した佐藤忠恕 (ただよし1904-)が明治大学洋書主任から転任。ただ佐藤さんは昭和12年から15年にかけて応召してたって。
主任たちが洋行帰りだったおかげで、当初から資料は中央管理ができてたんで、教職員(の部屋?)の資料は図書館から貸出す形式 をとっていたという。
カード目録に叢書などからの分出とかをしていたから、戦争中、加藤宗厚が見学しにきたとも。
戦争の進行にともない、行政整理の対象になって小金井かどっかのほうに移転・統合。教学練成所と改称(昭18.11)。
鳥居さん本人は辞めようと思ったけど、図書館主任にあの有名な新関良三がなってくれるなら留任する、と言ったら、本当にそうなっちゃって辞められなくなったんだって。
小金井に移転してからは図書館も休止状態。
で敗戦を迎える。
敗戦時の研究所長は、戦犯指定されそうになり自決。
図書館も、国立教育研究所の発足(S24.6.1)をうけ、同・附属教育図書館(S25.8)となっていったのだった。
参考文献として、
 『国民精神文化』v8,n9(昭17) これは精研の10周年記念誌らしい
 『国立教育研究所十年の歩み』1961 鳥居さんの回想もあるらし
が挙げられている。

皇道図書館学はどこ〜?

うーむ
ここが出した『図書分類法』、これはただの分類表みたいなり。
それも…

C740 皇室 皇道

などとゆー末節な記号に国体論をおくとは… 不忠なり不敬なり。現下、支那大陸の標準分類ではマルクス毛沢東思想が主要な記号を占領しているというに。
やっぱり戦前図書館学は「極端なる国家主義」と無縁としかいいようがないのう…

附.シナ分類表

大陸のほうの中国図書館図書分類法(CLC)については、NIIのホムペに日文解説あり。
http://www.nii.ac.jp/CAT-ILL/contents/ncat_manu_china_bunrui.html

記号 分類
A マルクス主義レーニン主義毛沢東思想
B 哲学
C 社会科学総論
以下、略

やっぱり毛主席万々歳しとるね。
1973年制定の新しげな表だけど、シナMARCに搭載されているらしいから標準なんだろうなぁ。
民国のほうにもある。こっちのほうが古い(1929年初版)*1。日本のNDCとほぼ同じ時期だね。
中國圖書分類法

記号 分類
000 總類
100 哲學類
200 宗教類
以下、略

民国のほうが人民共和国よりまともにみえてしまうのは、それは(わちき及び)あなたが欧米流の近代主義に毒されている証拠ですぞよ(・∀・)

*1:中国図書館学用語辞典p.379