書物蔵

古本オモシロガリズム

正しくない言説を載せた本も定位置に置くべき:消極的自由主義の観点から

2013.2.3注記:かきかけで放っておいたものを最低限加筆し公開することにす。

この本の話。

水からの伝言 : 世界初!!水の氷結結晶写真集 / 江本勝編著 ; IHM総合研究所 [編]<ミズ カラノ デンゴン : セカイハツ ミズ ノ ヒョウケツ ケッショウシャシンシュウ>. -- (BA42419073)
東京 : 波動教育社
東京 : I.H.M.(発売), 1999.6-
冊 ; 26cm -- [vol.1];vol.2
注記: 英文併記 ; 子書誌あり
ISBN: 4939098001([vol.1]) ; 4939098044(vol.2)
別タイトル: 水からの伝言 : 今日も水にありがとう ; The message from water ; 水からの伝言 : 世界初水の氷結結晶写真集 ; The message from water : thank you again today, water
著者標目: 江本, 勝(1943-)<エモト, マサル> ; IHM総合研究所
分類: NDC8 : 435.44 ; NDC9 : 435.44
件名: 水 -- 写真集 ; 氷 -- 写真集

最初に断っておくと、わちきは『水からの伝言』はトンデモ本だと思うし、やたらに学校図書館公共図書館が購入するのもいかがなものかとも思うし、当初、『水からの伝言』を初等中等学校の教師が広めようとしたというのは、教員教育が国辱的に失敗しとるよい事例と思ったし、さらにまたトンデモ科学(これに限らず血液型が性格に影響するなど)が社会的影響力を有すすることを批判することは非常に大切なこととも思う。
しかし下記の、トンデモ学説だからといって、超心理学に再分類せよ、という運動はいただけない。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/Poisonous_Radio/20110529/1306672289
理由はいくつかある。

分類技術上の問題

図書分類表は、分類表を作る時には観点分類のごとく分類項目を並べるが、実際に個々の図書を分類表に当てはめる(分類の運用)段階では、本の観点は文学を除き、捨象して分類されるという慣例がある。つまり、水についてのエッセイは914.6(日本文学のエッセイ)だが、それ以外の水についての本は、水という項目名(名辞)がある項目に分類する慣例がある。たとえば水を文化史的観点から扱った本がもし仮にあったとしても、200(歴史)やその下位にふさわしい項目がなければ、他の項目であっても、水という名辞があれば、そこに分類することになっている。
この本が435.44に分類されとるのは、これ以外の全ての本にも適用されているこの理由によるもので、司書が「この本は自然科学の原則にかなうから4類ね」と判断して435.44に分類しているわけでは全然ない。「水が主題の写真集だけど、写真集に分類しても無意味だから水で分類しないと… 水の代表的分類記号は435.44だから、そこに分類しよーっと」とやってるだけ。

図書館は言説の正邪を決めない

わちきは言説に結果としての正邪ないし正誤があるだろうとは思うが、それを決めるのは図書館のユーザさまであって司書サマではないだろう。それにユーザさまだって集団的に決めるわけでなく、個々のユーザがココロの中で、個々の本、ともすれば本のある部分について、「あ、これはマチガイだな」と思えばよい。それが自由主義というものだろう。
本を見ていたら、横からユーザの代表サマがでてきて、「キミね、これは間違った本だから、読んじゃイカンよ」といった事態は、学校ならありえても(もちろん教員資格にともなう職権に限る… って戦後ワールドでは不謹慎か…)、図書館ではありえないのではないか。
ましてや、

分類147 トンデモの棚

などというものがあって、そこに、マチガッタ本を集めて排架するなどというのは、日本では昭和前期の後半に、警察の要請で、それも一部の図書館がやっただけである。
その伝で言えば、わちきは社会主義者でも共産主義者でもないので、両主義はマチガッタものであると思うし、両主義の観点から書かれた本はどのような主題であれ、マチガッタ分析を含むと思うが、だからといって

分類309.3 マチガッタ主義の棚

に集中排架せよとは、ぜんぜん思わん。
マチガッタ主義者がマチガッタ主義的に正しい観点から水の結晶について述べた本といえど、435.44に分類されるべきと思うよ。
そもそもからして、分類147は超心理学〈について〉の本を置くとこでしかないし、分類309.3も社会主義共産主義(一般)〈について〉の本を置く場所でしかない。
図書館界の慣例に従って、誤りであろうが政治的プロパガンダであろうが、「科学的に正し」かろーが、同一主題の本は同じ分類に置かれるべきと思う。
たとえば、第二次南京事件南京大虐殺とも)は、<戦争は負けた側に分類するが、日本が絡んでいれば日本に分類する>という通則にしたがって、どのような観点の人がどのような観点から述べようが(特定の文学形式で述べていれば別)、210の日本史に分類されることになる。これが、「第二次南京事件マボロシ」派の司書が

この本はトンデモぢゃ!(*'へ'*) ゆえに361.45の「デマ」に分類するのぢゃ

なんちゅーことが起きては困る*1のと同じように、逆もまたおかしいということになる。
マボロシ派も、3万人説も、中共30万人説本も、おなじ分類、おなじ場所に置かれることによって、はじめて、ユーザに選ぶことを保証することになるのではあるまいか。

*1:もちろん、困るのはユーザ。