書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館雑誌にめずらしく毛利宮彦が!

ほっておいた『図書館雑誌』3月号。あいかわらず本文はとばす(笑
いつもよむ巻頭の業界消息「News」と巻末の投書欄「北から南から」をみると,こりは!('0'*) 今月号は図書館史まみれといってよい(^-^)
まず,訃報欄に…(生没年は記事から)

  • 南 輸造(みなみ・ゆぞう)1907-2006.1.17 享年98歳

この人は戦後初期に有名だった人。いまの図書館学の知的枠組みが成立するまえに出した『図書運用法』を10年以上さがして去年入手した話はしたよね
この図書運用法ってジャンルは,いまでいう閲覧・貸出・保存なんかをまとめたジャンルなのだわさ。1960年代からの貸出の大躍進の影になってしまったけど(貸出し派は,明確に過去を否定したうえで貸出しを展開したからね)。記事によれば1936年に協会に入ったという。

  • 中村初雄(なかむら・はつお)1911-2006.1.22 享年94歳

この人は薬学出の人。戦前にミュンヘン大学の博士課程を出てる。戦後は国会図書舘にいて,そのあと慶応大学や鶴見大学の教員に。たしかお父さんは国会議員だったのでは。
図書館用語辞典 / 中村初雄. -- 同学社, 1951 なんてのも,いちおうわちきもってるのだった。

  • 小林 宏(こばやし・ひろし)1925-2006.2.6 享年80歳

この人は日仏図書館学会の人だねぇ。京都帝大を出ている。たしか,文庫クセジュの『図書館』はこの人の翻訳では。
こんなふうにならんでると,なにか不思議なことがわかってくる。
まず…
著名な図書館員というのは,(現役を退いてからも)ずいぶん長生き。平均寿命が延びてるとはいえ,やっぱり長生きだなぁと思う。なぜだろ。もちろん若死にしなければ有名になれる確率があがるんだけど… それだけじゃないと思う。そういえば,図書館界に夭折の天才って少ないなぁ。中井正一とかがそうかな。といってもたしか50代だった気が。
あと,転載はしなかったけど職歴をみると,結構,いろんなところに変わっていることがわかる。もちろん戦前・戦中派ってのは戦争がらみで勤め先を変えることになった人がおおいから当然といえば当然なんだけど。
敗戦で社会がガラガラポンとやりなおしになったときに,なんかの拍子で図書館業界に入ってきてしまった有為の人材たちがいたわけだわさ。
で,かれらが現役をしりぞいた後で,館界は有為の人材を自家栽培できたかというと… ま,縮小再生産ってことかしら。

およよ〜谷沢永一にケンカを売るひとが現れた

巻末の投書欄に,
二川幸広 「図書館学の創成期における毛利宮彦氏の事績について」
ってのがあって,これが,書誌学者谷沢永一のこの↓記事への反論なのだわさ。めずらしめずらし。
谷沢永一「書誌学と図書館学」『いずみ通信』no.33(2005.11)
いずみ通信は読みたかったんだけど入手できず。(ピラ友たんから通報されてたのに(;-;))
反論としては,1)「図書館学」という表現は戦前から普及していた。2)毛利宮彦の図書館学は戦後のものではなくてむしろ戦前のもの。3)毛利の図書館学と書誌学の中身が重複するのは,毛利と田中敬(書誌学者)との交流の結果では。
というものだけど,谷沢論文が読めないんでなんとも判断できず。どうやら谷沢センセは,「図書館学」は戦後に,毛利宮彦GHQなどとつるんで広めた,というように書いているのだろう(な,と憶測するしかない)。
ただ二川氏は,中村初雄(上記)が『図書館雑誌』51(3)(1957)に書いた追悼文?を引いてて,そこに「愛知出身。愛知一中では,金森徳次郎(略)とは学友。母方の姻戚にあたる坪内逍遥を頼って上京。」ってのは知らなんだわさ。
この毛利宮彦は,早稲田大学の図書館学を代表する人物だと思うぞ。
この早稲田の図書館ってのが,業界内ではなんともフシギな立ち位置にいるのだ。
図書館ぎらひの坪内祐三さんが誉めたのもなるほどなのだ。どーゆーふーに不思議かってゆうと,うーん。ちょっとまた考えてみるわん。