書物蔵

古本オモシロガリズム

バズりと古本と森さんと

午前中、バズっている件で某さんと電話。かなり長いものとなる。
昼間はレジュメの準備。いろいろと気が重い。
重いので話を聞いてもらうべとて西の方へと馬を駆る。途中で古書現世へ寄り、実はエロ本販売史がらみの次の三一新書を拾う。

さらに途中で寄ってどんどこ西へ。道すがら、バズっている件などを聞いてもらう。
ジョージ方面で古本あさりでもしやうかとて寄るも、肝心の人たちがお出かけとて―わざわざ戻ってお知らせしてくれた―あきらめて出版研究所へ参る。そこで森さんとおちあっていつもの店へ。
昨晩の続き、内容見本論。虚名がどのように広まったかという点で、内容見本論は伝説研究にも似ているとのこと。梅原らはグロっすも知らん奴は読まんでよいぐらいの言説をそこに載せるも、内容見本自体はむしろロハで広く撒かれるもの。つまり言説上はクローズで選別的なのだが、実際行為としては広くパブリッシュされるのが内容見本なれば、そのズレを考察するのもオモシロかろという。
わちきは読書編制の話。リテラシー史研で大昔、俳句指導書から作句や鑑賞というリテラシー伝授を再現する研究に接して、ハウツー本だけでなく句会の参加実録などもみつけると良いのではと話したそうな。それをうけて、国民読書運動で読書指導者というのは、少なくとも中田の構想としてメンター的なものではなかったかと返してにた。

新聞学会がコミュニケーション学会やらメデイア学会やらに次々と改名していく現象がらみで、逆に旧名で活動するという戦略もあるよ、と旧名活動戦略に名前があることを知る。それで1990年代半ばに日本図書館学会が図書館ナカグロなし情報学会に改名した時に、某先生が言っていたことを思い出した。
その先生によればもともと図書館・情報学は、図書館という場への応用だったり場の課題解決のためのディシプリンなので、1960年代なら改名も良かったろうが90年代では遅くなってしまう、むしろディシプリンの固有性を標榜するために図書館学会を堅持して良いのでは、という意見だった。