書物蔵

古本オモシロガリズム

日本的経営時代のインフォーマルな研修と、制度的人事管理の失敗

ちょっと面白い一文。

  • 吾一「図書館のミタ:私だけが知っている」『人物図書館』郵研社、2019.2 p.18-22

著者名はおそらくペンネームだらう。おそらく昭和3、40年代に大学図書館員になった人の思い出。司書講習がつまらなく役立たなかった一方で、大学(全体?)にあったお茶システムについて言及している。

8時半始業で職場に来ると、人がまばらなのです。最初はなぜか知りませんでした。でも9時になると人が全員揃う。なにか変だなーと思っていたら、先輩職員に連れられて喫茶店に行きました。喫茶店の時間は大学の業務時間です。するとそこに図書館員だけでなはなく人事課の職員もいたのです。

ある種の皮肉として記述している向きも感じられるが、おそらく直後に

吾輩は目録係でした~司書講習に通年で通いました。それがなんともつまらない、役に立たない講習でした。~すべては日常業務と業務以外の学習システムで学びました。

と書いていることから、書き手の意図は不明ながら、お茶システムという「業務以外の学習システム」が機能していたと証言しているように、わちきには見ゆるのぅ(´・ω・)ノ
正式の制度化された研修システムが「なんともつまらない、役に立たない」もので「図書館員として必要なスキルは得られませんでした」というものであった一方、インフォーマルな枠組みで「学びながら給料がいただけるとは、夢のような生活」だったのは、いはゆる「日本的経営」といふ言葉に集約される人事管理法かと。
研修システムが「なんともつまらない、役に立たない」もののままで、インフォーマルな枠組みを廃止したのが、小泉改革以降の日本組織の停滞を招いてゐるやうに、わちきは判断してをる。
回想や歴史のいいところは実態に近いことが記述されるとこ。
律令制導入以来、実態と制度が乖離しまくりで、日本的経営なるものは実態を管理すべく自生的に生まれたやうな気もするが、それが生きてゐた時代と、さういったシステムを絞め殺して、現場では誰も育たなくなった現在を対比するのにぴったんこ(゚∀゚ )アヒャ