書物蔵

古本オモシロガリズム

「認識はcrazy」

めづらしく図書館学の論文を読んだ。

  • 山本 順一. 日米比較にうかがえる社会的制度としての公共図書館の現在と近未来の盛衰. 情報の科学と技術 = The journal of Information Science and Technology Association.. 66(2):2016. 78-83 ISSN 0913-3801

本論は、日本司書は年収360万円なのに、米国司書は664万円だとか、米国には4万7千人いるのに、日本では1万2千程度だとか、そんな職業としての司書の比較をしているのだが、その前振りがふるってゐて、わらった(o^∇^o)ノ

わたしがこの分野〔図書館情報学。順々先生の出身は政治学なれば〕の研究者としてデビューして以来相当の時間があつが、アメリカの図書館界を比較の対象として論じるわたしの講演やエッセイに対して、常に陰に陽に現場の人たちからよく言われてきたことは、「アメリカと日本では(国情が)違うから(アメリカのことは日本の図書館現場にはそのまま役に立たない」ということであった。

これは占領時からよくある話。
むかし、国会の小田, 泰正, 1913-1993 || オダ, ヤスマサ がよく、「出羽守」と揶揄されてゐたやうなもんですな。

しかし、先進社会として経済的にも、文化的にも見事に共通の基盤を備えながら、またほかの行政分野では軍事も学校教育も、ほとんどすべての分野の法制度や政策で2周遅れくらいでアメリカの後を追い、連携をしながら、公共図書館の分野だけ別だという認識はcrazyとしか言いようがない。(p.78)

うーん。
この前提の部分が微妙にわちきと一致でけんなぁ…(゜〜゜)
まず日本国が「先進」からズリ落ちつつあるやうな気がする。昭和前期から平成前期にかけて、たしかに日本は近代化に邁進する先進(非白人では唯一、近代帝国主義国家も運営した)だったが、ここ10年ほどズリ落ちつつある。
また経済はともかく、文化的には共通の基盤はない、と思う。表層は米国から流行りをいれてるけど、基盤はむしろ東アジアだよ(だから漢字を廃止して、roomaji ni seyo, to yuujin ga iu wakedearu.)。
「法制度や政策で2周遅れくらいでアメリカの後を追」ってる――正確には引きずられているだけだが――のは確かだが、「連携をしながら」って、別にアメリカ様は自分たちのことを決めるのに、日本に連携したがっているわけではないでしょう。むこうもそんなに閑ぢゃない。
ただ、1950年代の偉大なアメリカ時代に、米国及び米国図書館人が日本館界にとってもよくしてくれて、一方で福田なをみみたいなキーパーソンも日本側にちゃんとゐて、結果、日本館界の一部――さう、専門図書館系といへばいいのか――が連携をとっていたのは事実であらうけど。
で、順々先生は、

公共図書館の分野だけ別だという認識はcrazy

というのだけれど、これが、「公共図書館も2周遅れでアメリカ化すべし」という主張なら、不賛成なのだが、アメリカを参照せよ、というのはまあ賛成である(´・ω・)ノ
ただ、いちばんオモシロかったのは

認識はcrazy

てふ表現(σ^〜^)
これが、「認識はキチガイだ」とか「認識は狂ってる」という表現だと、英語の明るさがなくなっちゃふからね( ^ - ^ )
さういや、呉夫子が、呉爺(くれいじー)とかいわれてたとネットでむかしみたな。