書物蔵

古本オモシロガリズム

日本近代個人用の本棚史のつづき

わちきの見立てハ。「組立本棚」探索が、日本近代個人本棚の典型を探すことにならんと。
さっそくに愚愚れバ。

  • 博進社 編. 紙業界五十年. 博進社, 昭12. 492p ;734-107

これの317 ページに何か載っているとぞ。
開くと…。
山本留次が明治42年個人営業で開業した(株)文運堂が出てくる。大正9年に株式会社化したというが、この会社の特色は、「学用品といへば教科書あるのみと思って居た時代に〜逸早くも優良な文具の大量生産に魁した」ところ。教授用品研究会(高等師範の教授で組織)の協力を仰いだという。三島通良という医学博士は「専ら衛生上の見地から、従来の石盤と石筆の弊害を説き鉛筆と雑記帳を以て之を代へるべきであると多年主張して居たので」文運堂の事業に賛成したとか。
この文運堂が、

爾来、文運堂では種々の萬年筆萬年筆用インキ、組立書架類を始として、斬新なる
文具類の製作、販売に当たって居る

とぞ。
あわててオパクれば。

  • 文運堂一〇〇年史編さん委員会 編. 文運堂一〇〇年のあゆみ. 文運堂, 2009.12. 145p DH22-J696

なる本が出てくる。


オタどんの日記から書架の設置、購入と運用を知るというのはなかなかに有効で(これはあらゆる日用品に言えるだろう)。
中勘助が1943年に静養のため静岡県安倍郡服織(はとり)村新間、字・樟ヶ谷(現・静岡市葵区新間)に移住した際の日記。
昭和18年11月14日の条にこうある。

そこでまづ組立書棚にとりつく。注文する時の私の設計が拙かったため安定が悪いのを荷造りの枠をきり、すぢかひをいれてしゃんと立たせる。それをまへからの書棚と並べて当用の書物のほかに化粧品や薬のびんをのせ、今まで三重につんで代用にしてきたあき箱をかたづけてみれば罪なくして月を眺める配所のなにほどかの装飾になる。次は重ね箱の修理だ。もとは和子のさとのもので、はうばう転任のをり運搬に便利なやうに重箱式に五つ重ねる浅い箱、箪笥がはりに使ふのでたたんだ著物〔ママ;着物〕の大きさに杉板でこしらえてある。注意はしたけれども本をつめたため複雑骨折みたいに壊れた。繕ふにも適当な釘がない。鉋がない。贅沢をいへば杉板がない。で、和子に木釘を削らせ、久木野きかないところは紙でつぎばりをし、どうにかまにあはせて書棚と反対側の樟の衣装箱のうへにのせる。

ここから次のことが云える。

  • 個人が誰か―おそらく指物師か大工―に注文するのが組立書架
  • 設計は注文主がすることがある
  • 中かんすけは職業作家なので本を多くもち、本棚がもう1本ある。
  • 何かの空き箱を代用にすることがある。3段くらいまで積み上げる。ゆえに、空き口はこちらへ向けて積み上げたことが論理上言える。