書物蔵

古本オモシロガリズム

法文だけぢゃワカラナ〜イ(σ・∀・)σ:明治大正期の実務参考書がキモっ(o^ー')b

キョーカショに三類型

出版警察がらみの解説本には3系統あると書誌鳥に。

  1. 内務省のキャリアが書いたもの
  2. 内務省のノンキャリや警察署員が書いたもの
  3. 学者が書いたもの

で、思想の自由のからみで、いままでさかんに1や3が復刻されてきたけれど、出版史研究という意味では、2のほうが役に立つというのは、だれでも考えるかな。

雑誌記事も

あと単著でなく、記事の連載などもいままで看過されてきた。まあこれは、戦前期の雑誌記事索引が、ざっさくぷらすや国会のデジデジが成立するまで、事実上、なかったことによるんだけどね。
たとえば。次のパラグラフの後段、個人が入手しちゃったものは発禁本といへど差押へられぬと明言しとるものは意外とないんよ。

差押は総て頒布未済の出版物及頒布の途中に在る出版物に付之を為すものとす、例之印刷所製本所発行所販売所縦覧所貸本屋郵便局配達所等に在るものの如し、蓋し若し之を〓棄し置くときは尚進んで多数の人の手に渡り、又は公衆の目に触るるを以てなり、已に一箇人の占有に帰したるときは之を差押ふることを得ざるは勿論なりと雖も、或いは一箇人に於て数部の出版物を所持し若し之を放棄し置くときは命令に違反して尚之を他人に頒布するの虞ありと認めたるときは之を差押へて差支なし。
久保田政周「講義 出版警察」『警察協会雑誌』(38)p25〜34(1903.7)

ま、これを書いた久保田, 政周, 1871-1925 || クボタ, キヨチカ - は高級官僚なんだけどね<(; ^ ー^)

売れちゃったもんは差押えでけんよ

まあ話をもどすと、

已に一箇人の占有に帰したるときは之を差押ふることを得ざるは勿論なり

というのは、実はなかなか書いてないこと。理由はモチノロン(o^ー’)b「勿論」なことだからo(^-^)o
単行本としてはいっちゃん最初に出て、なおかつ大学では11館しか所蔵されとらん山田一隆『出版警察』(文明社、1914)とかもそうなんだけど、明治末から大正期の出版法制解釈って、わりと穏当で。

「親戚友人に贈与するは頒布にあらず」

たとえば上記の連載記事第1回で、発売頒布が成立するには3つの必要条件があるけど、3つ目の発売頒布は、頒布の対象が不特定多数ぢゃないと成り立たんよと説明するなかで、こんなことを言っている。

三、頒布することを要す。
(略)特定の人に非すして数多の不定の人と云ふこと必要なり、会社か特に定まりたる株主に限り文書図画を送達するは頒布にあらす、自作の詩歌を印刷して親戚友人に贈与するは頒布にあらず、之に反して印刷を以て謄写に代ふと書し書簡体に為すと雖も、之を知人のみならす諸般の人に発送するか如きは頒布
久保田政周「講義 出版警察」『警察協会雑誌』(36)p49〜56(1903-05)

この1パラグラフからも、オモシロい事実をいくつか拾えるが、

自作の詩歌を印刷して親戚友人に贈与するは頒布にあらず

と言い切っちゃってゐる点が、きはめて重要ぢゃ。といふのも、これは昭和期には放棄されてゐた解釈で。昭和時代、2人以上に配るのは不特定といふことになっちゃってたから。
たしか大正12年だかに、左翼つぶしの一環で、むちゃな判例大審院が出しちゃったはず。由比正臣あたりが書いていた。

法文からぢゃ分からな〜い(σ・∀・)σ

実定法上、明治半ばから昭和20年まで出版法規はほぼ変わらなかったといっていいんだけど、内務省が段階的に「行政解釈」を変えたり、コスト度外視で差押えに狂奔するようになったり、実態としては段階的に取締が強化されていた。だから従来の、実定法文にもとづいた研究では出版警察の実態はぜんぜんわからんといってもいーんだわさ(´・ω・)ノ
またキヨチカ君曰く、

頒布とは人をして文書図画を閲覧するに至らしむる行為を云ふ、故に発行所より販売所に送付するか如きは未だ之を頒布と云ふこと能はす

などと云ふ。

発行所より販売所に送付するか如きは未だ之を頒布と云ふこと能はす

なんて、昭和期の出版警察(の実態)を知ってをれば考へられぬ考へ方ぢゃ。だって、取次や郵便局にある段階でばりばり差押えてたからねぇ。明治、大正期は、わりと官僚もまともでのんびりしてたんだなぁ(゜〜゜ )