書物蔵

古本オモシロガリズム

やっぱりケチネ?:関根喜太郎と『春と修羅』

佐藤, 寛, 1893-1970 || サトウ, ヒロシ は『四次元(宮澤賢治友の會機關誌)』(60)(1949)に載せた『春と修羅』についての回想とおなじ事柄を1965年にも書いていた。

  • 宮沢賢治とある死刑囚 / 佐藤寛著. -- 東京 : 洋々社 , 1965.3. -- 300p ; 18cm.

1964年に交詢社で紹介された梅田道之(洋々社社長)と「何気なくしゃべっているうちに、梅田さんがかつて刀江書院という出版社に勤務しておられたということが判り、それでは関根喜太郎という男を御存知でしょうか? とお訊きしたのに対して、知ってるどころか、その関根喜太郎が支配人で、その下で仕事をして来たのですよというのである。」(はじめに p.1)

私が関根を知ったのは、大正の初期、東雲堂という詩歌専門の有名な出版社に関係したことにはじまる。〜刀江書院へ勤める前、関根喜太郎はそこ〔東雲堂〕の番頭をしていたのであった。私とは、どんなことからはっきりしないが、兎に角、あの震災で焼出されて住む家がなかったところから、私の家にころがりこんだことはたしかであった。

しかし関根が無条件でそれ〔『春と修羅』の出版〕を引受けたとは考えられない。何故なら彼は仲間からケチネと呼ばれていたほどのケチンボウであったからである。(p.4-5)