書物蔵

古本オモシロガリズム

佐藤卓己『天下無敵のメディア人間』を方法論的に読み解く!(上)

このまへまで読んでたこの本。

  • 天下無敵のメディア人間 : 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 / 佐藤卓己 著. -- 新潮社, 2012.4. 454,8p

天下無敵のメディア人間―喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 (新潮選書)

天下無敵のメディア人間―喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 (新潮選書)

オモシロかったでちo(^-^)o
オモシロかっただけでなく、いささか縁(とはいへ、間接)もある本なれバ、ここに書評をバ試みん。
なれど、普通の書評ならギョーサン出るにちがひないよってに(近所の本屋に平積み――それも複数冊――されててびっくらちょ(*ω*;)´´)、ちと変わった書評にせん。題して「方法論的書評」なり。どのような作業をしてこの書が成り立ったのか、の部分に焦点をあてるから方法論的と称すので、なればこそ、この書評で抽出された方法論は、他の人物やら他の雑誌・新聞を題材に、本を創る際にそのまま転用できるといふ、まったくもって読者にお得な「お役立ち」書評なり。

いささかの縁とは?

わちきと古書趣味でやりとりがあったHisako姐さんが、にゃんと佐藤先生に野依がらみの資料で支援していたということ(本書p.430)。いま姐さんのブログみると、ちゃんと佐藤先生の連載に言及があるね。
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/51630232.html
それから、わが畏友オタどんが必殺「日記読み」手法で戦中期の野依の動向をつかんでいたことから、結果として協力できていたことなんかも、それ。
いま野依で皓星社雑索*1を引くと、次の棒グラフのとほりの結果。ちやうど戦時中にぜんぜんヒットがないでしょ。オタどん秘奥義「日記読み」の術はこの資料上の制約を部分的に乗り越える可能性をもってをるのだ。

主題について

主たる主題は、野依秀市ということでよろしいでせう。ってか、第二、第三の主題として固有名件名として「実業之世界(雑誌)」とか「帝都日日新聞(新聞紙)」とか。普通件名をつけるとすれば、「ジャーナリズム--日本--歴史--20世紀」といったところにならうが、ホントは「Sensationalism in journalism -- Japan -- History -- 20th century.」あたりをつけねばなんねぇんだろーけど、それにあたる件名がない。
ただ、いまの国会では伝記(NDC:289)に第二件名以下をつけることをせんやうなので、人名件名をつけておしまいかの(´・ω・`)
ま、この本のオモシロさは、まづハとにかく野依自身のはちゃめちゃさにあるからしょーがないんだけど。
佐藤先生いはく、

野依が凡百のジャーナリストと決定的に異なるのは、日本には珍しく徹底した個人主義者だったからだと私は考えている(p.205)

とか。彼の徹底した個人主義が、新聞がみなマス・メディア化していくなかで野依のメディアだけ、あたかも明治期の「大新聞(おおしんぶん)」みたいなものに留まらせたのだらしい。
『実業之世界』も『帝都日日』も、まるで(戦後の)総会屋雑誌みたいなのにギリギリそうでないように見えるというのもまた野依の性格によるものなのだろう。

野依ヒデイチは一般には忘れられていた

いま手近なところで、皓星社雑索やヨミダス聞蔵をさらうと、死去後の記事はまるでないので一般世間的には確かに忘れられていたと言ってよいでせう。
ただもちろん、慧眼の士は気づいていて、実際、今回の佐藤著で先行文献として挙げられとるものが2,3ある。
わちきも、去年だったかそのまへだったか、森やうすけ氏から、「野依がけなしまくりとすれば、増田義一はほめまくりで、のした」とか、「帝都日日なんかも、ずいぶんと発禁になってる(σ^〜^)」とか言はれて、「へーぇ、そんな新聞もあったんだぁ」と思うぐらいでしかなかったが。
先行文献としては、先生も挙げとるけど、

がある。
ちなみに「虚人」とは解説の鶴見によれば「その当時には大きく見え、時代とともに蒸発してしまった印象をあたえる人」だという。ただ鶴見の野依評価はつれないなぁ。わちきはプラグマティスト鶴見が好きだが、これは残念(´・ω・`)
ちなみに上記の部分をきちんと典拠を書くとこうなる。

この梅原のタイトルを見て、ちとオモシロなのは、森さんに見してもらった『新雑誌X』。。。ってか『現代の眼』編集長だった丸山実の追悼録のタイトル、あれたしか『混沌の丸山実』だったよね。http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20120312/p2つまり丸山実を野依秀市にたとえてるんだねぇあのタイトルは(2012.7.2追記 やはり考えすぎかしら)。ちなみに梅原正紀梅原北明(ほくめい;北=ソヴェトが明るいという意味)の息子で野依の部下だったこともあるお人。遺稿集(か)に略歴ありと。
梅原の野依伝はエピソードがいろいろオモシロ(σ^〜^)

この本の性格

うん。新潮選書だし、この本は厳密な意味での「学術書」ではない。もちろん佐藤先生の学術的ウンチク(ドイツ公示学?)が背景にあるわけだけど、学術的知見をわかりやすく一般読書人に説いてくれる、という「選書」(全書とも。「新書」よりは学術寄り)という日本出版界独自(?)の入れ物(メディア)にそぐう書き方をしている。
だから、面白くって読みやすい。
それでいて、情報の出典も書き込まれているから、実は学術風に読むことも可能。ってか、わちきの今回の方法論的書評も、それゆえ成り立つのだけれどね(o^ー')b

『帝都日日』がない?!

野依のやった新聞雑誌で重要なのは、2つ。『実業之世界』と『帝都日日新聞』ね。で、これらを読み込むことで佐藤先生はこの本を書いたわけだけど、『実業之世界』のほうが、とびとびでも結構、早稲田やら慶応やらにあるのに対し、『帝都日日』のほうが結構、残ってないらしいのだ。

明治新聞雑誌文庫 → 151(昭8.1.8)〜昭8.2.26, 昭8.4.19〜298(昭8.6.5)
同志社大学人文科学研究所 → 1866(昭12.?.?)
国会図書館 → 復刊4194号(昭33.7.19)〜復刊7582号(昭44.6.30)

このような状況を踏まえて、先生は「今日では所蔵先さえ確認できない『大分日日新聞』や『我等の新聞』とはちがって、東京大学明治新聞雑誌文庫で一部閲覧可能な『帝日』だが、新聞紙研究で言及されることはほとんどない。」(p.272)としている。
ん?(・ω・。) 『大分日日新聞』はなぜだか1枚だけ前橋にあるねぇ(´∀` )

前橋市立図書館 → 4863号(大15.6.20)

ググるとまた、東大の博物館に

第2880号、昭和15年7月20日発行

があるとわかる。
しかし、大学の先生ですらよくわからんのは次の理由による。

全然ダメになっちゃった「全国新聞総合目録データベース」

2011年12月までは、「新聞の所蔵は」とくれば、「それっ! 全国新聞総合目録データベース!」となり、実際、『帝都日日』を引けば所蔵だけでなく次の参照データが出てきたのだが。

003952 帝都日日新聞(創刊:1932) 原紙 帝都日日新聞社 1932-1969 日刊
昭7.8「帝都日日新聞」創刊→昭19.4休刊→昭30.7復刊→昭44.7.1「やまと新聞」
http://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_S_kan_lst.cgi?ID=003952

こういった書誌的な来歴が、後継データベースとされとる「NDLサーチ」ではさっぱり参照できないのだ。
新聞はただでさへ現物が残ってをらんのを、かろうじてこういった書誌的な情報で、さらに違う方向へ探索を展開することができたり(あるいは明確にあきらめることができたのに)、こーんな、サーチの寸詰まりのデータ見せられてもねぇ。。。

注記 改題注記 : 「やまと新聞」と改題

上記の情報がみな飛んで、これだけになっちゃってる。
文献調査をしたことがない人たちがDBを設計しとるのかしら。。。(゜〜゜ )
いま、同志社OPACを『帝都日日』で引いたら、

逐次刊行物
書誌ID :SB10209754
誌名/編著者 :帝都日日新聞||テイト ニチニチ シンブン
出版事項 :東京 : 帝都日日新聞社 , 1932-1969
注記 :書誌変遷: 昭7.8「帝都日日新聞」創刊→昭15.11「東京毎日新聞」を吸収合併→昭19.4休刊→昭30.7復刊→昭44.7.1「やまと新聞」
刊行頻度 :日刊
本文言語 :日本語
NC番号 :CH20065032

と、かなり親切なデータがある。
しかし、新聞の残存を調べるのは、総目がへろへろ寸づまりデータになっちまって、これまた大変だわい。

いっこうに本題にはいらぬこの書評

ちと、ちかれてきた。
本題は、では、どーやって佐藤先生は、この世に残っておらぬ時期の『帝日』を参照したのか、ぢゃ。
いやはや。
実は同じやり方でこの世から消えた逸文を参照できるなぁ、と思っておったことぢゃったが、その時は、

そんで、どんな研究がなりたつの

かわからんかったのぢゃ。佐藤先生みたいな使い方があったのか、と感心しきり。

本題:ホットパート集

(つづく) c(≧∇≦*)ゝアチャー

*1:いまだこれが引けぬ大学、公共図書館がたくさんあるというのも日本の情けなさ。いやサこのまへ国会のデジタル化データが事実上、戦前期雑索となってをって、皓星社の雑索が競争力を失うかと思ったけど、国会デジを実際に引いて必ずしもさにあらずと判明。