書物蔵

古本オモシロガリズム

上森健一郎こと上森子鉄(してつ)書誌

上森子鉄(かみもり・してつ;1901-1989)は有名な総会屋さん――ん?(・ω・。)、さんづけでよいかな(;´▽`A``――だったらしい。
ただ我々は、梅原北明の盟友っちゅーか、かはりに牢屋に入ってあげる人物として出版史的なキョーミがメインなんだけどね(σ^〜^)
あたかもよし、「子鉄」が「こてつ」でなく「してつ」であるか、とのレファレンスやり取りがネットにある。どうやら「子鉄(してつ)」のほうが本名らしい。
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000028290
またこれを見るとフツーに文学者として近代文学大事典に立項されとるらすぃー(*´д`)ノ
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:F60Y9uReI9oJ:jlogos.com/dictionary/10839936/%E4%B8%8A%E6%A3%AE%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E+&cd=28&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a
たしかに若い頃「小鳥の死」なんちゅー小説を書いてをるね。
それがロッキード事件などで国会会議録にも言及される大総会屋さんになるとはとは( ・ o ・ ;)
わちきも総会屋になろうかしら。。。
もちろん、総会屋雑誌を担当するのぢゃ!`・ω・´)o

上記情報の出所は…… にゃんと谷沢先生!

大事典の机上版、p.410に上森健一郎(かみもりけんいちろう)が立項されてをるが… にゃんと執筆担当は谷沢永一先生。またまたにゃんと、金沢市生まれとも。

大正2年松ヶ枝尋常小学校卒。苦学して〔大正〕8年菊池寛の通い書生、のち文藝春秋監査役(昭和18.4〜昭和21.3)。(p.410;漢数字を数字に、芸を藝にした)

とあり、その後に華々しき「文藝資料研究会」(大正15頃〜昭和7頃)時代の出版活動が語られている。こりゃー、アレだアレ。『談奇党』その他が復刻されとる『性・風俗・軟派文献書誌解題集成』を見なけりゃあ( ^ - ^ ; )
ん?(・ω・。) なんでそんなもん持っとるのかって(;´▽`A``
そりはオトモダチだからぢゃよ(σ・∀・)σ ってか友人が躊躇なく買ってるのを見てわちきも負けじと買ったのぢゃ(o^∇^o)ノ
んー、いま見てみると1巻にいろいろ書いてあるね。初めは北明の用心棒として雇われたとある。

書誌

  • 上森健一郎「市場推選―『ジャングル』を読め」『文藝市場』2-2 p.60-65 (1926.2)
  • 「ヤリ付団旗の許しを受けに 近づくメーデーを前に諒解を求めに 本年の参加者は一万人」『東京朝日新聞』(1926.4.22)夕刊  p.1 自由労働組合?評議会の上森として登場
  • 上森健一郎「巡業の旅から曽我迺家五九郎」『読売新聞』(1926.6.7)夕刊p.9
  • 日清紡の争議 昨夜円満に解決 二項は遂に撤回す」『東京朝日新聞』(1926.6.19)朝刊 p.7 評議会の上森として
  • 上森健一郎「[雨の日の偶感]堀木克三氏へ(上)」『読売新聞』(1926.9.17)朝刊p.4
  • 上森健一郎「[雨の日の偶感]堀木克三氏へ(下)」『読売新聞』(1926.9.18)朝刊p.4
  • 上森健一郎「晴雨計」『読売新聞』(1926.9.22)朝刊p.4
  • 上森健一郎「≪十月号特別読物≫金の十字架―宗教は阿片なり―(小説)」『文藝市場』2‐10 p.68-73(1926.10)
  • 上森健一郎「文化と思想(感想)」『文藝市場』2-6 p.〓 (1926.6)
  • 上森健一郎「『大衆』創刊礼讃(書籍市場)」『文藝市場』2-4(創作号・明治異聞) p. (1926.4)
  • 上森健一郎「≪創作≫小鳥の死(小説)」『文藝市場』3-2 p.70-77 (1927.2)
  • 今東光「[感想アルファベット]中」『読売新聞』(1927.3.20)朝刊p.4
  • 上森健一郎メーデー参加実記(ルポルタージュ)」『文藝市場』3-5 p.5-8 (1927.5)
  • 上森健一郎「文芸運動の任務に就て―林房雄君に教示を乏ふ―」『文藝市場』3-4 p.58-62 (1927.4)
  • 上森健一郎「[芸術の本領に]上」『読売新聞』(1927.4.3)朝刊p.4
  • 上森健一郎「迷惑」『読売新聞』(1927.4.5)朝刊p.4
  • 上森健一郎「[芸術の本領に]下」『読売新聞』(1927.4.7)朝刊p.4
  • 西谷操「[廃頽大津絵節]江戸末期の夢よみがえる上」『読売新聞』(1928.8.21)朝刊p.4
  • 「高田・岡田両俳優突如、同情退社松竹やぶ蛇に大狼狽ほか」『読売新聞』(1931.9.3)朝刊p.7
  • 「更に男女優9名、挙って脱退? 黒幕上森氏の超特作的声明 映画王国に大地震」『東京朝日新聞』(1931.9.4)夕刊  p.2 「映画界の黒幕」として「松竹資本の暴虐」を9/3大阪ビル・レインボーグリルにて訴える
  • 上森健一郎「松竹窮余の策に女優封鎖の戦術か東亜の策謀説も飛び出す▽北村氏語る」『読売新聞』(1931.9.4)朝刊p.7
  • 「急に消えてまた一つ「新会社」伝明プロを新「黒幕」が声明ほか」『読売新聞』(1931.9.5)朝刊p.7
  • 「伝明一派のプロ会社計画現る 黒幕の黒幕登場す」『東京朝日新聞』(1931.9.5)朝刊  p.7 写真あり
  • 「全く混線の映画王国騒動 黒幕また新声明をとばし、松竹側でも声明」『東京朝日新聞』(1931.9.5)夕刊  p.2
  • 上森健一郎「<本号特輯 蒲田騒動の真相>原因する風評(ダークホースとして活躍せる氏h事件の原因を展開した)」『映画時代』11-5 (1931.11)
  • 「溝口監督、突如日活を退く裏面には親友の例の上森氏」『読売新聞』(1932.4.5)朝刊p.7
  • 「日活脱退組がまた独立プロ 入江、中野、溝口の組合せで」『東京朝日新聞』(1932.4.7)朝刊  p.11 写真あり
  • 「[展望台]文壇競馬党のしてる人々」『読売新聞』(1939.5.27)夕刊p.2
  • 「(TEMPOビジネス)大物総会屋「上森子鉄」の黒幕人生」『週刊新潮』(1989.8.31) p.16-17
  • 「戦後史の“陰”また1人逝って「昭和」遠く(SUNDAY HEADLINE 社会)」『サンデー毎日』68(41) p.23 (1989.9.3)Z24-15
  • 香村啓文「偉大なる「裏方」上森子鉄氏のこと」『月刊times』13(9) p.86〜89(1989.10)
  • ―「キネマ旬報-大物総会屋・上森子鉄氏の忘れ形見(AERAリポート)」『Aera』4(16) p.62 (1991.4.9) Z24-918
  • 丸山実「「総会屋ではない」といい続けた上森子鉄(崩れ始めた裏社会のパワーバランス;4)」『月刊times』19(3) p.52〜56 (1995.4)Z24-766
  • 伊藤博敏「日本株式会社に巣食う総会屋の正体-証券、銀行に続き、三菱・日立グループ東芝にも捜査のメス([特集]追跡!「闇取引」の構造)」『週刊東洋経済』(5459) p.42〜45 (1997.11.22)Z3-38
  • 香村啓文「財界、興行界の裏方として君臨最後の総会屋上森子鐵物語:昭和史の裏と表を駆け抜けた波瀾万丈の生涯」『月刊TIMES』 1回(2006.4) p.25-33, 2回(2006.5) p.31-39, 3・最終回 (2006.7) p.27-39 〔第1回〕終生の師・菊池寛の知遇を得て財界、興行界の裏方として君臨/〔第2回〕古川ロッパ一座を陰で支え興行界の実力者に/第3回・最終回 昭和史の表と裏を駆け抜けた波欄万丈の生涯