書物蔵

古本オモシロガリズム

中條辰夫 biblio?

中條辰夫ってダ―レ? ん?(・ω・。) 金子光晴(詩人)の友人、ってか金子が文学に足を踏み入れるきっかけになったお友達の図書館員だよ。生没年不明。
オタどんのミッション・ディフィカルトがふってわいたので調べてみたが。。。

中條辰夫という日比谷図書館児童部職員Comments
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20110925/p1

かの伝統ある日比谷図書館の児童サービス初期の重要人物といってもいいかも。
読みはおそらく、中条, 辰夫‖チュウジョウ,タツオ まぁ常識読みか。
明治44年に20歳前後として、昭和6年を最後にぱったり書き物がないのは、もすかすて40才前後で死んでしまったのか??? →(20111004追記) 戦後は千葉電気協会なるものに勤務してたようだ。いったい戦時中は何やってたんだろーね。(追記おわり)
今沢慈海柿沼介竹内善作あたりと同僚だったのは確かなんだけど、この人たちって回想録がないんだよね。それに日比谷図書館って、まともな年史がない。いま『五十年紀』を見ても、人名がぜんぜんでてこない(=゚ω゚=)
わからんのー(*´д`)ノ

略年譜

*はオタどん調べ

1895(M28)? この頃出生
1900(M32) この頃、北国で暮らす。積雪があるが夏は稲作もする地方。
1911(M44) この頃、東京市日比谷図書館の児童室へ勤務
1915(T4) この頃、金子光晴と新宿「中村屋」の二階にエロシェンコを訪ねる。*
1916(T6) 中条辰夫が金子光晴を保泉良弼、良親兄弟に紹介。金子はじめて三十篇ほど詩作。*
1917 金子光晴との共同編集で『魂の家』を出す。*
1918.1 日本図書館協会の会員となる。紹介者は今澤慈海
1919.1.25 金子光晴の処女詩集『赤土の家』刊行記念・渡欧送別会、神田の牛肉店「常盤」で開かる。参加者:金子、中条、井上康文、富田砕花、佐藤惣之助佐佐木茂索福士幸次郎、正富汪洋、石井有二、平野威馬雄、加藤純之輔。*
1919.9- 『おとぎの世界』に寄稿
1921.9 最初の著作 童話集『銀の魚』(聚英閣) 序文は今沢慈海徳富蘇峰に誉められる
1922 日本童話協会に参加
? この頃、童話から足をあらう???
? この頃、図書館をやめる???
1929 労働運動???
1931 上海へ行く
約20年間 不明
1952 千葉県電気協会勤務 千葉在住

書誌

「旅(童話)」 『おとぎの世界』1(6) (1919.9)
「浚はれてゆく者(小品)」『中央文学』3(11) (1919.11)  Z79-B27
「都会の中(感想)」『中央文学』3‐12) (1919.12) 
「䖝の鳥(童謠) 」『おとぎの世界』 1(9) (1919.12)
「光の國と水の國(童話) 」『おとぎの世界』2(9) (1920.9)
「樂しいおうちへ(童謠) 」『おとぎの世界』2(10) (1920.10)
「妙な男(童話) 」『おとぎの世界』 3(4) (1921.4)
「吹きならす銀の笛 」『おとぎの世界』3(7) (1921.7)
『銀の魚』中条辰夫 聚英閣, 1921.9 (YD5-H-501-160 ) 童話集。初山, 滋 (1897-1973)‖ハツヤマ,シゲルが装丁と標題紙にあり。序文は今澤。「同君は久しく児童室を経営し多くの実際的経験を積んで居られる。」(p.3) 初山滋(装丁)、尾熊善次郎(作曲)。西川庄次郎(出版)への謝辞あり。あとがきは大正10.9.3日比谷図書館で執筆。 読売11.25に紹介される。
「螢の沼(おはなし) 」『おとぎの世界』3(10) (1921.10)
「逃げた小鳥(童謠)」『おとぎの世界』3(12) (1921.12)
『童話研究』 日本童話協会 1922-1932 (Z13-3703)に参加。
「湖の光り 」『おとぎの世界』4(3) (1922.3)
「抒情童話 國をもとめて 」『おとぎの世界』 (1922.6)
「滑稽童話 蚊帳 」『おとぎの世界』4(6) (1922.6)
「魔法の團扇(童話) 」『おとぎの世界』4(9) (1922.8)
「芿七の昇天(童話) 」『おとぎの世界』4(11) (1922.10)
『微笑の沼』 中条辰夫 さめらう書房, 1926.6 (YD5-H-517-312 )
「ラー・ジユー・ベー」『郊外』7(6熊手号) (1926.11)
「愚にもつかない話」『郊外』改8(1) (1927.1) 左官屋の友達「栄ちゃん」のこと
「愚についた話」『郊外』8(2) (1927.2) 最初の著書を福田正夫徳富蘇峰に誉められたこと
「愚々漫筆」『郊外』8(5) (1927.5)
「愚談一束」『郊外』8(7) (1927.7)
「愚話一千日」『郊外』8(8) (1927.8) 函館でロシア娘とフランス語で話したこと
「ゴツホの向日葵」『郊外』8(9) (1927.9)
「秋の日の苦労」『郊外』8(11) (1927.11)
「結城紀行鬼怒川下り」『釣の研究』2(11) (1927.11)
「パライソーと竿」『郊外』8(12) (1927.12)
「ブツコミ短話 」『釣の研究』3(第2月號) (1928.2)
「ゲロリ・シロブタ・モツコ等」『郊外』9(2) (1928.2)
「大町附近」『郊外』9(4(1928.4)
「永住より」『郊外』9(5(1928.5) 震災時、父、母、弟を助けたこと 子供が3歳で死んだこと
「[随筆篇]禁煙余談」『郊外』9(8郷土玩具研究号 (1928.8) 20年間吸ったタバコを前年、断ったこと
「お化・旅・釣」『郊外』9(10(1928.10)
「旅より旅へ」『旅と伝説』第12号(1928.12) 
「釣界余話」『郊外』9(12(1928.12)
「旅より旅へ」『旅と伝説』第12号(1928.12)  幼少の頃、北国の山村に住んでいたこと。おとぎ話にふけったこと。山村の女性に性教育されたこと。この時、三十代だったとある。
「湯の通る道」『郊外』10(2) (1929.2)
「煙草と釣と」『郊外』10(5) (1929.5)
「≪市町村会議員選挙闘争記(挿絵八葉)≫総検束の中に旗は進む!―市町村議戦に戦ふ政獲同盟の一翼を描く」『戦旗』2(6) (1929.6)
「名の間違い」『郊外』 10(7) (1929.7)
「鮎を釣る」『郊外』10(9) (1929.9)
「芋と鼠っ子評」『郊外』10(10) (1929.10)
「芝浦の夜釣」『郊外』10(12) (1929.12)「蟲ものがたり」『農業世界』25(10) (1930.8)
「上海グリムブス」『東京パック』20卷12号) (1931.12)
「上海の本屋さん」『紀伊國屋月報』 (1931.9) 『紀伊國屋書店と新宿』(ゆまに書房)に復刻。上海には路上の「安本屋」があり、
「上海の秘密」『探偵』1(8) (1931.12)
「上海に於ける釣のお噺 」『釣の研究』8(4) (1932.4) 魚住, 清適‖ウオズミ,セイテキ と釣りについて話したこと。大橋, 青湖 (1890.1962)‖オオハシ,セイコ にもらった釣りざおを東京に置き忘れ困ったこと(東京在住と判る)。上海の新公園の池からあがった魚からゴルフボールが出たこと。
「ヤマベ釣の興味」『釣の研究』8(6) (1932.6)
「上海の女達 」『日本国民』日本國民別卷 (1932.7)
「忠犬物語(物語)」『小学三年生』 (1932.7)
「冬の釣漫談」『釣の研究』 (1935.6) 堀江長三郎君に釣りを教わったこと。上海で釣り堀に行くこと。大連で満鉄の衛生課長X紙に会い釣りについて話したこと。
「魚三題」『国本』 15(6) (1935.10)
「釣紀行 鬼怒川まで」国本『』15(10) (1935.10)
「虫擬人譜」『農民文学』(9) (1952.8) 虫の名称について。幼少時、祖父のためにこおろぎ(くさひばり)を採った思い出。末尾に「筆者は(千葉市新宿町二ノ一一九千葉県電気協会勤務)」とある。57歳頃???