書物蔵

古本オモシロガリズム

件名の誤解は明治から

森さんに、帝国図書館の和漢書件名目録(1905.2、1909.3)のことをきかれたんだが、あらためて考えてみると、明治の図書館人たちは件名のことを基本的に誤解していたことが思われる。

字書体の誤解

そもそもこの目録の序文で序者は、この件名目録のことを辞書体だといって、誤解をさらしておる。辞書体というのは、普通名詞(件名標目)や固有名、つまり著者標目や人名件名標目、書名標目が混排されていて、あたかも辞典のように1回で引けるからということなのだわさ。

明治33年の間違い事例が教科書に

そういえば『図書館管理法』に目録の事例があったな、とて見てみたらば、また! 思いっきりマチガッタことが書いてあって、笑った(^-^;)

  • 普通読書案内 / 中学教育社. -- 中学書院, 明31.7

この本の件名が「管理法」に事例として載っているんだけれども。
その事例が

教育

アフォかいな( ・ o ・ ;)
タイトルから推察されるように、この本は各学問分野の読むべき本のリスト(近デジにもあるので各自確かめられたい)。NDC6ed.なら、019.1か028あたりになるべきもの。まあ、028かな。
件名ならどうなるかといえば、

書目 -- 解題

 とか 

推薦図書 -- 書目 -- 解題

といったところ。「教育」のキョの字もない(σ^〜^)σ
けど、じゃあ件名としてなぜ間違い標目が付与されているのかといえば、これまたわちきにはわかってしまったのぢゃ。

なぜマチガッタのか

まず279-5という請求記号(戦前は函架記号)が付いている、ことからもわかるように(って誰もわからんか)、旧帝国図書館本の279は、教育>学校外教育の分類なので、『図書館管理法』の著者(おそらく田中稲城西村竹間)は、分類から件名をつけてしまっている。いはば、古き英米図書館学の技にいふ alphabetico-classed catatog の標目をこしらえてしまっているというわけだ。
むかーし、TRCに潜入した際に思った時、なにかしら、先に分類をつけてあとからそれを件名に翻訳しているようであったが、そんな感じ。
まぁ、TRCみたいに、ある本に付与された分類と件名をかなり厳格に対応関係にしてしまうというのも、一定程度の質の下げ止まりに役立つけど、本来は禁じ手であり、理論的にまちがいである。
まともな主題標目を付けようと思えば、件名を先につけて、そのあと分類をつけるほうがいいんだけどね。

戦後も間違いを継承

でも、今見たように明治の初めの先進的図書館人たちが、のっけから件名を誤解していて、戦後もBSHの委員たち、特に山下栄委員長が先人のマチガッタ理解を裏から支える日本固有のヘンテコ件名理論を打ち立てちゃって、だれも批判しなかったんで、明治から現在に至るまで終始一貫して件名付与がまちがっているというのも、ある意味、合理的といへやう(σ^〜^)

親の因果が子に報い!!!

そして、まちがってる件名標目など、まともに引けるものではないから役立たない。件名標目を使うのは主にレファレンス・ライブラリアンだから、したがって、日本のレファレンス・ライブラリアンは役に立たないということになる。
ん?(・ω・。) 誰でちゅか? たしかに件名はリファーに役だたんかもしれんが、だからといってレファレンス・ライブラリアンが役だたんというのは早計では、というのは?(σ^〜^)
ところがぎっちょんである。
じつはレファレンス・ライブラリアンの存立基盤のコアに件名があったとしたならば、どうかね。ある人に「件名ってーのハ、思考法そのものなんよ…」といはれて、ハッと気付いちゃった(ってかそのまま教わってるだけだが)のである(`・ω・´)ゝ Q.E.D.

ちなみに過度の実証の道に分け入ると、

帝国図書館報』の明治32年の項にこんなことが書かれている。冊子目録が分冊でどんどん増えちゃって大変だ、だからカード目録を作るよ。ついては

此際、従来ノ分類ヲ廃シ、和漢洋書トモ総テ字書体目録トシ件名ニ由リ編纂シ、前者ハ五十音順ニ排列シ且ツ別ノ書名目録ヲ備ヘ、後者ハエビシ順ニ排列シ…

とある。分類をやめて件名目録を作るよ、日本語・古代中国語のほうは五十音順にするけど、西欧語はABC(エビシ)順にするよ、とある。ここでも辞書体から書名が排除されちまってるのは御愛嬌。

2016.6.25

アクセスがあったので少し補記