書物蔵

古本オモシロガリズム

高くて、かつ良い古本とは

ない、ないっ! いい本がないっ!

というのは数十年前から古書展に来た業の深いコレクターがつぶやく定番のぼやき、といふことになってをる…(*´д`)ノ
けふもけふとて…
つれづれなるままに、日本の古本屋を検索していると…

き、き、き、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

トンデモめづらか仮性図書館本が来る!(゚∀゚ )アヒャ
ってか…
とても古本で買へるものとは思っていなかったので、ほんにもう、偶然検索でけたやうなもの。
ん?(・ω・。)
あゝ、さうか。日本の古本屋にあらまほしき機能ってば、待ちうけ機能というか予約機能といふか。
探求書掲載機能はあるけれど、あれって、どれだけの古本屋が見ているかわからんし、なにより、古本屋によってはちと高めにだしてくるかも、という憶測を利用者側に起こすので、あんまり使えない。
事前に、いくらぐらいならこれこれを買うよ、という予約機能をつけるとよいのでは。
話をもどすと…
たまたま検索をしたらばヒットしたのは中文のもの。
サテ、あくどくも大東亜図書館学の復活をコソーリとたくらむ書物蔵にあって、中文のものとは如何なるものにや、あらむ?
って、拙ブログの古き読者なれば思ひつくかすら…
さうぢゃ。
藪から棒に、オタ呑之介にたづねられたる南京は維新政府の国立中央図書館の「館刊」であるぞよ。
奇跡的なり。
と、まだ在庫の有無もなにも返信がないのに喜んでて、いいのか(^-^;)

補足:大東亜トンデモ学と大東亜図書館学のアマルガム

平成期の図書館趣味家、悪辣なる書物蔵は今、オタどんの大東亜トンデモ学に触発され、さまざまなる古本を煮込んで大東亜図書館学を復活させようとたくらんでをる(・∀・) 両者を総称して大東亜ト学(だいとうあ・とがく)といふ。
大東亜ト学復活せば、凡百の図書館史学者をなぎはらうことができるのぢゃ(σ^〜^)
ん?(・ω・。)
話がそれた。
ともかくそのト学のなかに東洋最初のドキュメント・サプライ・センター(以下、DSS)がある。
どうやらオタどん自身が歴史の闇からDSSを復活させた契機を忘れとるようなので、以下に略述せん。
まづはこれらを見られよ。

■1942(民国31)年、東洋のBLDSC「通信資料部」
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070725/p3

東洋初の組織的DSSを始めた(とおぼしき)福崎峰太郎、この名前は日本図書館史に永遠に刻まれることになるだろう。
戦前期図書館学は、日中・太平洋戦争下で逼塞し(まぁある部分はそのとおり)、なんにもなかったというのが今の通説。けれど、平和国家日本国が平成期にようやっと始めた遠隔複写が1942年に始まっていたなんて、わちきはもー、びっくりしゃっくり。
しかしこれらエントリはみな、オタどんの、藪から棒なる「書物奉行センセ、オセーテ」から始まったのであった(*゜-゜)

■謎の植民地図書館
http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20070714/p1

そしてわちきがこんなのを書いたというわけ。

■南京の謎の図書館長福崎とは
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070713/p1

上記エントリの探索プロセスで、わちきはほぼ正しい手順を踏んでるが(これ、このまま「戦前期の図書館人を調べるには」になるね)、結局、最後にあたったコウセイシャの新・雑索でかろうじてヒットしとる。
やばいところであった。この新・雑索がなけりゃあ、東洋初のDSSは歴史の闇に埋もれたままであった(*゜-゜)
そして拙ブログに出現せるセンセなるヒトにおしへられ、金丸裕一氏のオモシロ論文などを参照し、さまざまなことがわかってきた。

昭和17年6月南京で大蔵公望は何を見たのか
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20070724/p2

東洋初のDSSは、オタどんと書物蔵によりて、2007年に再発見・再評価されたのであった。