デリバリーったってピザじゃないよ、学術文献。それも、スクーターじゃなくて潜水艦で運ぶの(・∀・)
昨年末にミシガン大学の和書がごっそりグーグル・ブック・サーチに入ったらしく、先日から大東亜図書館情報学のトリビアねたをつれづれに検索しとるんだけど、なんと第三帝国から文献速報した犬丸秀雄でヒット。それも科学史の文献にデタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
ペニシリン開発に役に立った!
この〔ペニシリンの薬効を伝えた〕雑誌は、科学情報が途絶していた日本に海外で科学文献を収集し送り届けるという学術情報活動の一環で、文部省から1943年にドイツへ派遣されていた犬丸秀雄が扱った雑誌に含まれていたものであるという。ドイツより潜水艦で同年末に日本へ運ばれて来たと推定されている。
で、「推定」は、角田房子が『碧素・日本ペニシリン物語』(新潮社1978)でしているという(異説として、角田に先立つこと4年、『近代薬物発達史』は米国→ドイツ→文部省と米国→外務省を挙げているという)。
具体的には、キーゼというドイツ人学者の1943年の文献が、1944年に和訳がでているそうな*2。
そして官民を挙げた開発で、ペニシリンを独力でなんとか生産するところまでもっていくことができたという。美談なり。実際に、KO義塾の塾長だった小泉信三が空襲で大やけどを負った際に治療に使われたともいう。
図書・図書館史ネタ(゚∀゚ )アヒャ
いやサ、大日本帝国(およびその勢力圏)におけるウルトラスペシャル先進的なドクメンテーション(文献活動)ってば、なにも結果を生まないまま消え去ってしまったのかと思ってをったのだ。
竹林熊彦の日本綜目録、稲村やすおの研究者カード、汪兆銘の文物保管委員会図書館による遠隔複写サービス、そして犬丸さんのドキュメント・デリバリーと文献速報。どれも極めて模範的な類型を示しながら、なにも生まないまま、みんな忘れさられたまま、消えてしまったのだろうと思っていたのであったが…(*゜-゜)
実はペニシリンという成果があったのだねぇ(*´д`)ノ
かろうじて廃止が回避された省令科目、図書・図書館史で恰好の話題ですな。
どこかでだれかが
日本にもドキュメンテーションの流れは戦前(敗戦前)からあったんだよ。それはネ…
としゃべってたら、その人は「書物蔵」を見ていたと考えてよいでせう(・∀・)
引用したら典拠を示すだすっ!`・ω・´)o