書物蔵

古本オモシロガリズム

柳田国男に「にげてかへる」とかかれちゃった荻山秀雄

荻山秀雄の戦後文献はほとんどない。
「朝鮮引揚雑記帳(上)」 図書館雑誌 40(2)p.46-47(1945.9,10,11,12)
を書いているが、同雑誌索引によれば、下は掲載されなかった。
「(筆者は元朝総督府図書館長 現在東京都立日比谷図書館勤務)」とある。内容は…
朝鮮独立の問題が早晩、引き起こされるだろうということ。朝鮮人のほうが戦局の客観情勢に通じていたこと。ある会合で戦局不利なことが話されたこと。
図書館に関しては、「貴重図書を慶尚南道伽□山海印寺の有名なる高麗大蔵経板庫に格納することに成功した」こと。
「古書洋書新書三部の別格本疎開
「図書館を特別建造物に指定して、四囲の建築物取払の請願」
などをしたという。他の課題も挙げられていて、
「全鮮への図書及び用紙類の配給」「物価奔騰に起因する経費の増額問題」「K・T司書の免職事件」など
「本府」(総督部局のことだろう)とのあいだに折衝が大変だったそうな。
けど、肝心の図書館経営に関しては、ほとんど項目だけで詳細は見あたらない。
あとは、昭和20年6月から「日没時三十分前に閉館とし、夜間の閲覧は当分停止した。」一方で、「舘外貸出を一層自由にして」機能低下を防いだこととか。

尚ほ総督府図書館が、全鮮館界の最高峰として、戦争そのものに直接如何に役立つたかに就いては、他日稿を改めて記したい。

とあるが、(下)は掲載されなかったし、ほかの文献も明らかでない。
この後、荻山は愛媛県立に勤めたと石井(1995)にあるから、愛媛県立関係か愛媛の地元新聞などに何か書いている可能性はあるが。
ただ、当時すでに64歳になっていたし、上記「雑記帳」を読んでも筆力の衰えを感じる。残念ながら書けなかったのではないかと思う。
こんなことも書いている。

[朝鮮人は]いつどこで調達したか、精巧無比なる真空管十五乃至二十球程度の外国製超短波ラジオ受信機を沢山所持していた。(中略)されば敵国側の放送は勿論、中立国のそれをもキャッチして、日々の戦況はもとより、一般性空きの情勢などは恰も掌を指すが如く判断していた。