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古本オモシロガリズム

ここがロドスだ。ここで跳べ!(1):ヒルズ・ライブラリーの場合

min2-flyさんかproject shizuku の中の人がCeekz Logsさんに紹介してたこの論文を読んでみた。
小林麻実「アカデミーヒルズ六本木ライブラリーのアイデンティティ (特集=図書館アイデンティティ) 」『情報の科学と技術』56(2) [2006] p.52〜57
著者はヒルズ図書館の「ディレクター」さん。一読、すげえオモシロい。

完全ネット型の図書館から気づいたこと

「ライブラリー」にまだまだ可能性があると気づいたのは、外資系コンサル会社にいた時の経験だという。
情報を組織し、分野横断的に転がすスタッフの意義に気づいたという。そしてその後、1990年代に資料のないネット依存型のライブラリーを「多くの非難をあびながら」作ることに成功。
ところが完全ネット型の、情報学上100点満点のライブラリーを作ってみて、逆に、ブラウジングを通じたセレンディピティがある場所依存型のライブラリーのよさにも気づいたという。
けれど、図書館計画中の2001年当時でも、日本の館界で注目されてたのはニューヨーク公共(NYPL)のシブル(SIBL;ビジネス支援館)どまり(つまり、課題解決・情報提供のレファレンス・ライブラリー)であり、著者の「意外な情報との偶然の出遭いがある場にしたい」というビジョンは空論と受け止められしまい大変だったいう。

本を貸さない図書館にカネ払ってまで来る人

おもしろいのは、お金儲けの得意そうな森ビルのスタッフの方々も、当初は単なる不動産専門図書館とか本をタダで貸すところという、従来型のビジョンしか持ってなかったところ。

もっとも大きな問題の一つは、顧客層の設定であった。どんな人がおカネを払ってまで、図書館に来るのだろうか? 誰も彼もに、有料図書館は成功しないと言われた。

そんな顧客がいるかいないかは、マーケティング調査をかけてもわからない。そのようなセグメントは未だ存在していないからだ。

ちなみにブラウジングはしつつも、「会計上の「資産」として書籍を保持したくないと」「真っ先に考えた」ディレクターさんはどうしたか。
(くわしくかいてないが、おそらく委託みたいにして)売る本を並べたのである。
貸出しはしないことにしたという。
私立図書館ではタダ貸しでも著作権制限の特権がないので、

この業務〔著作権処理〕の煩雑さと不安定さを思うと、私は、本の貸し出しをビジネスとして行なうことはできないと思った。

からだという。

私立図書館の(光輝ある)イバラの道をみんな忘れている

私の一番大きな仕事は、他人に「具体性がない」、「意味がわからない」と言われても、同じことを言い続ける、軸をぶらさないということであった。

やっぱり事業を立ち上げるというのは、ビジョンとカリスマとがんばりが必要ということなんですなぁ(もちろんおカネも)。
わちき流に解説すると、じつはこのイバラの道というのは、戦前期の私立図書館の偉大な創設者たちがたどってきた道ではないかと。
大橋図書館成田図書館函館図書館名古屋公衆図書館などなど。
「しょじゃくくゎん」、「づしょくゎん」なんて、ワケワカランと思われながらも、むりやり作った偉大な創設者たち…
彼等のつくった図書館たちは、いきなりコケたり(集書院)、うまくいったものも昭和前期の段階で「公立」に移行していき、あるいは廃止となっていった。戦後はこれら光輝ある私立公共図書館の歴史がわすれられ(1950年図書館法に「私立図書館」があるのは、戦前の歴史のよすがといってよい)、公共=公立直営が正しい、ぐらいに思われてきたけど、これはむしろ1970s〜1980sに特有の論説なのかもしれず。
大橋図書館が持っていた可能性については、いちど書いた(ら、闘病記文庫運動幹部にどなりこまれた→)。http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060612
これはやはり、私立図書館の歴史が再度(って、あんまぱっとせん竹林熊彦『図書館物語』1958以来だからねぇ)が書かれねばらならんのぅ。

「ライブラリー」といふことば

ちなみに、ヒルズの場合に「ライブラリー」っちゅーカタカナ語を使っているのは意図的にだという。
わちきとしては、江戸以前からあった「文庫」というコトバをわざわざ回避して明治初期に「図書館」という語が新造されたのも、平成の小林麻実さんとおなじような思いがあったからだとおもうが... ただ、「図書館」の読みが「ず・しょ・くゎん」から「としょ・かん」になっていき(明治20年代?)、図(ず:ビジュアル)や書(しょ:文字)の館から、ただの本(図書;としょ)置き場になってしまい、すっかり明治初期のメディアテーク的なアウラがなくなってしまった。わちき的にはさみしいが、「ずしょかん」ならぬ「としょかん」ということばが現在ただいま、patron(ぺいとろん/ぱとろん これも米国図書館学で利用者をよぶ古い言い方)をわくわくさせられない、ということは認めねばならんて。

レファと古本屋

レファレンスについても、館内や他図書館の蔵書の検索だけでなく、近隣の書店の案内もするということを考えた。

禿同である。「書店」だけでなく、「<古>書店」もおおいにレファレンスの情報源にしてほし。
大きな図書館で窓口官僚に、著作権法の解釈(学理解釈やら行政解釈やら)を垂れられながら、肩身の狭い思いをして半分までのコピーしかできないんであれば、「日本の古本屋」にその雑誌のその号が1000円ぐらいであるほうが、よっぽどありがたいのである。

顧客にとっては、自分の欲しい本が図書館にあるか書店にあるかは、決定的な差異ではない。それを入手するのに必要なコストの総額、すなわち時間と値段のバランスが重要なのである。いつも無料なら良いというものではない。

書店・古書店・図書館・貸本屋・ネットカフェ(漫画喫茶)というのは、利用者からみれば、シームレスに存在しているのである。書店の成立しない田舎などでは図書館が肥大するのもやむをえなかろうが、図書館が読書生活のすべてをまかなえるなどと、もし無意識にでも思っているとすれば、それはこまったこと。

ここがロドスだ。ここで跳べ

最後に、これは耳が痛いことが書いてある。

図書館業界の方からは、「六本木ヒルズだからこそ、順調に顧客を獲得できたのだろう。」

といわれるが、それは単一モデルの全国化をお家芸にしてきた後発近代国家(著者のいう「文明開化」)の論理が下敷きにあるからではと指摘する。たしかに、悪の中央図書館官僚ではないはずの、市民の図書館の連中も、単一モデル→全国化にならん(から学ばなくていい)、ってあっさりと言う。

私は、六本木ヒルズという場所にいるのだから、そこのためにふさわしいモデルを作り上げていったのである。

「○○だからできた」という大変に都合のいい解釈は、じつは1980年代から業界内にあって、たとえばそれは、あの「浦安」でさえ言われたことで、最近では「千代田」とか、1970年代型図書館人の繰言の一種。
ディレクターさんが言いたいのは、

ここがロドスだ。ここで跳べ

ということですな。
最後に、このライブラリーを真似しようとしてくれるな、と〆ているところなど、なかなかレトリカルでもある。ちなみに、同著者の『専門図書館』(225)よりもこっちのほうが具体的でわちきにはオモシロであった。

附.「ここがロドスだ。ここで跳べ」という引用句(ことわざ)

「ここがロドスだ云々」ということわざは、『成語大辞苑』(主婦と生活社1995)によれば(p.444-445)

ここがロドスだ。さあ跳んでみろ

というものであり、ぱっとしない体操選手が故郷で、「ロドス島ではちゃんと跳んだよ。ロドス島民が証人」とか言ったのを見ていた人が、「じゃあ、ここがロドス島だと思って、いま、跳んでみせろ」とつっこみをいれたという話。同辞典によれば、「論より証拠」だという。ただ、わちきのエントリでは、ちょっち違う意味をもたせてもらったっちo(^-^)o
ラテン語辞書で「ここ」はhicだというから、hicから『ギリシア・ラテン引用語辞典』(改訂増補1963)を引いたら、もとの形が出てきた。(p.254)

hic Rhodus, hic salta (ヒク・ロドゥス、ヒーク・サルター)

ラテン語イソップ寓話集からの引用句だとある。
ギリシャ語形ではあまり有名でないみたい、というか、ウィキペディア独語(http://de.wikipedia.org/wiki/Hic_Rhodus,_hic_salta)によれば、ギリシャ語形は

Αὐτοῦ γὰρ Ῥόδος καὶ πήδημα(アウトゥー・ガル・ロドス・カイ・ペーデーマ)

と、ガルとかカイとか、ぜんぜん韻をふんでない(上記引用語辞典にもない)から、やっぱりラテン語形でひろまったものらしい。ウィキペディア伊語だと、マルクスたんとヘーゲルたんがちがう形で引用してなんとやら、とあり、ネット(日本語)でもそれらしき記述もあるから、日本ではマルクス経由でひろまったのかもしれんね。
しかし、ウィキペディア英語に説明がないとは、まだまだ古典学はドイツ語に若干の優位があるのですな。