書物蔵

古本オモシロガリズム

小河内女史の前半生

このまえあんま期待せずマケプレから届いた本。
公共図書館とともにくらして / 小河内芳子. -- いづみ書房, 1980.8. -- (くさぶえ文庫 ; 11)
片々たる並装文庫本なんだけれども…
ぬぁーんとこれが! 昭和期図書館史の回想録なのだ。
著者は小河内, 芳子 (1908-) ‖コゴウチ,ヨシコ おそらく児童サービス関係でいちばん偉い人。まだご存命(のハズ)。三重出身。
図書館職員養成所 第9期生(23名)のひとり。首席で卒業したそう。

それほどコツコツと勉強した覚えもないし試験の答案もたいして自信はなかったので、びっくりしました。試験の要領がよかったのか、また他の人たちが私以上にボケーッとしていたのかのどちらかでしょう。(p.38)

で、謝恩会で流行歌を歌った同期がいて、松本館長をおこらせちゃったとか。この9期生ってあんま成績がよくなかったのかも。同窓会の「芸草会(うんそうかい)」もちょっくら出てくるんだけど、順調に運営されてたとさらりと書いちゃってるのは不正確。同窓会が並立してケンカになっちゃった件とかがない。
けどご本人は大変運がよく、世界恐慌の翌年にもかかわらず、帝国図書館京橋図書館東京市立)の2つから、おいでといわれたんだそうな。で、結局、京橋へ。秋岡梧郎館長が、児童サービスをおやんなさいと言ったからとか。

京橋図書館東京市立)

これがまた昭和4年に建ったモダンなもんで。特徴は、1)公開書架室(開架)と2)実業図書室(ビジネス支援)と3)児童室。秋岡がコンセプトを作ったという。
昭和5年4月に試験採用され同年6月6日に「東京市雇ヲ命ズ 月給四拾五円」とのこと。

京橋図書館の職員は二六、七名で女性は私だけでした。東京市立図書館全体でも二、三名だったでしょう。市立図書館の職員は、東京市の職制に従い、事務員・雇・傭人(出納手・小使・守衛)となっていて、雇や傭人の採用は、館長が面接や試験を行い、実質的には館長の裁量が重要視されていたようでした。

で、当時は東京15区に20館ほどあり、日比谷図書館が中央館として機能するだけでなく日比谷の館長は「館頭」と呼ばれ市長直属で局長待遇だったとのこと。

図書館がいわばひとつの局に相当するものだったのです

(・o・;) つまりは「図書館局」ってことですな。東京市の図書館局の局長さんが「館頭」。今沢退職後の機構改革でなくなっちまったんだけどね。
新田潤が(秋岡?)館長からもらったアルバイトをするためによく2階の実業図書室に篭もったそうな。で、図書館員をモデルにした小説を書いたとか。

満洲図書館大会で辞職を迫られる

例の第31回図書館大会に出たそうな(参考:『第三十一回全国図書館大会之栞』http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060530/p2)。
で、手続きに不備があったんだけど(館の庶務主任が教育局に口頭で了解をもとめたという)、帰朝後、それをとがめだてされ、教育局の図書館掛に、辞職せよと迫られたという。
で、すったもんだの末、異動。東京市立氷川図書館へ(昭和12年11月)。それ以前(昭和12年7月)にすでに秋岡館長は日比谷へ、庶務主任は深川図書館へ異動になっていたそうな。コゴウチ女史の見立てでは、教育局が、今沢館頭時代の残党を殲滅するための口実ではなかったか、と。
本人は観光気分で参加したようだけど、こんな事件になるとはとは。
で、昭和13年6月に氷川図書館で清水という青年(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060703/p1)に『図書館管理法』を読めと言ったそうな。
昭和16年に退職、って、公共系ギョーカイ人なら知っとると思うけど、この人は児童サービスの大御所に戦後なる。

この事件が廻りまわって数十年後に

満洲での図書館大会から帰って〕するとある日突然――事務日誌をみると六月二四、二五両日――教育局より呼び出しを受け、図書館掛長なる人に合いました。後できくと、館長も庶務主任も呼ばれていたのでした。
そこで私がいわれたことは、
「君は教育局に無断で、館長と一緒に満州へいったそうだ。これは東京市職員の体面を甚だしく汚す行為であるから即時、辞表を出せ」(p.100)

結局、辞表は出さずに転任。館長は日比谷図書館に図書主任は深川図書館に転任となって落着したというが。
これって、しばらくまえに館界スズメが言ってたとゆー、「小河内・秋岡とっても仲よかった(婉曲表現)」説の元になった事件だということに思いついたよ(゚∀゚ )アヒャ
小河内さんはこの本にはっきり書いていないけど、小河内さん自身が再現した教育局図書館掛長のヘンテコなもの言いが、そこはかとなく示唆するよね。

東京市職員の体面を甚だしく汚す行為

ってのが、「教育局に無断」で行ったことにかかるのならば、「体面を甚だしく汚す」なんちゅー表現になりづらいよね。これはむしろ「○○と一緒に」行ったということにかかる言葉と理解すると、ようやくナルホドと思える。
上記「説」は、昭和12年満洲図書館大会に秋岡さんと一緒に行ったのが元だったのだねぇ(・∀・`;) しかし風聞というのものの、ネタ元ってのを確認できるなんてめづらしい。
ってか、小河内さんはほかにも回想録を書いとるみたいだから、それんなかに出てくるかもしれないがね。
しかし、図書館のお偉いさんとご婦人が一緒に(公務がらみで)大陸へ旅行したら辞職を迫られる*1ってのも、時代ですかな(*´д`)ノ え? 今でもほめられたことではないってか(゚∀゚ ) そうですのぅ ほんとーにまったくそーですのー

*1:もちろん、この件は本当にそうだというわけではないが、図書館掛長はそう思い込んでいたのは事実と受け取ってよいだろう。わちきの憶測を述べれば、説はおそらく正しくはなかろう。だって、それじゃああんまり両者がバカっぽくなってまう。