書物蔵

古本オモシロガリズム

滅びの時

大東亜戦争期の日本図書館界をいろどる国民読書。
その一こまに「(財)満洲開拓読書協会」があるわけだが。
その滅亡については従来不明であった。
とゆーか。中田邦造は当然、知っていたはずではあるが、もっともっと長生きしてよかったはずの中田は、戦後十年してあっさりと逝ってしまい、自伝等は書かれず、彼の、波乱に飛んだ図書館人生の実態については不明な点が多々のこされてしまった(*゜-゜)

ひさびさに満読キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

満読については主務官庁の大東亜省が焼けて許認可の書類が残っておらず、対する満洲国の文書もどこにあるのだか。昭和20年の8月に煙になった気も。
満読の主たる事業の1つだった「芝富読書指導者養成所」が閉鎖されたのは昭和19年8月だということは、第2代所長(庸村センセ)のパンフ(昭和20年1月)に書いてあることであったが。
肝心の満読がいつごろまであったのかは雲をつかむようなハナシであった。
図書館雑誌』は昭和19年8月15日発行の「七・八月号」で終わり。
それをつかむため、青聨の会報(昭和20年3月)なども見てみたのであったが…
昨日、みつけた年譜。
かなり、法螺がはいったものなので、はは〜ん、庸村先生、やっとりますなぁ(゚∀゚ )
とあんま期待しないで見たのだが。
こんな条項が!!!

昭和廿年四月
 米軍の空襲に依つて本会及び満読事務所を消失、一切の資料を失つた。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!

満読は昭和20年までは存続していた

いやぁ
むかしとった杵柄というか
ほとんど史料がのこされてないなかで
ぱっちわーく(ってこりゃーどこぞの通信か)のように事実を再構成していかざるをえない時代に興味があっていろいろ読んでいたのが役に立つわい
この、一行に、ほかでわかっているさまざまな事実をあてはめていくと、書いてある以上のことが自然と判ってくるですよ
滅びのときまで図書館人たちは、文献報国をやっていたのですなぁ(*゜-゜)