(ちょっと前の記事の再論)
図書館は雑誌を軽視している
ってことは、どっかに書いてあったかなぁ。ま、大宅壮一文庫がらみの文献とかにあるかな。
伝統的に図書館は雑誌を軽視してきた。
理由はよくわからん(仮説)。
・雑誌はそもそもエフェメラだった→図書館は「図書」館だった
・雑誌は管理が簡単と思われていた
というのが第一原因かしら。
その結果
・長期保存されない(廃棄される)
・書誌、所蔵目録が整備されない(ついでに記事索引も軽視)
・雑誌の目録、保管には優秀な人材が配分されてこなかった。
というのが第二の理由。
そしてその結果
・ゆえに雑誌研究も進まなかった(戦後60年間で、雑誌(逐次刊行物)についての単行書は4,5冊)
という現象が結果として将来してしまったのであった。
当然さらにまた、
・雑誌担当というのは人気のない部署
ということなわけ(あーあ、また言っちゃったよ。どうしてこう言っちゃうかねー*1!)。だれだって、単行本、それも和古書や漢籍、貴重書の担当になってエッヘンプイって威張りたいわいね(それが館の設置趣旨に不整合だったとしてもね)。
「簡単→軽視→不人気→停滞→不人気→停滞→不人気……」ってゆー構造。
あわてて言いたいのは、
組織ン中で不人気・軽視される部門ができてしまうのは、これはまた組織の生理であり、持病みたいなもん
だとゆーこと。だいたい、図書館一般が(日本では)世間的には不人気の停滞部門だわさ。そーゆー事実から図書館改善は図られねばなるまいて。
どっかみたいに、価値的にも実態的にも「みんな」が本当に平等であるべき(あるはず)などといってはいませんからねー*2 むきだしの善意は、みずからを盲目にし、まわりを盲目にし、「みんな」を盲目にする…)。
ハナシもどすと…
問題なのは、雑誌が、簡単で当座の価値しかないもので終わってくれなかったとゆーこと。
だから、だれも意図してやってるわけじゃないが、組織体として「図書館は雑誌を軽視している」という解釈がなりたつのだ。
「世界で最も優れたネットサービス」ってナニー????(・∀・)
昨年、図書館省を降格に追い込んだ産経新聞にこんな記事が…
いま、世界で最も優れたコンテンツに関するインターネットのサービスは何かと問われれば、私は躊躇なく、わが国の國會図書館の郵送複写サービスだと答える。(「世界で最も優れたネットサービス」『産経新聞』2006.6.29夕刊)
うわわ〜 手放しの礼賛(×o×)
著者は浜野保樹ってメディア論の人らし。
出版物で探すのが最も難しいのは雑誌記事だが、全部ではないものの、代表的な雑誌についてはデータベース化されている。それがインターネットを通じて自宅で検索できるばかりか、自宅から複写を注文し、自宅に郵送してくれるのだ。
なーるへそ(゚〜゚ ) そうですか。
てか、これって「雑誌記事索引」とコピーの郵送依頼をくっつけたもん。
まあ実際、雑誌そのものが図書館で軽視され廃棄されてきたから各地の図書館にはない(学術雑誌なら大学図書館にあるが)。だから結局は國會だのみということになる。
でだ。
これが画期的サービスだ、ってことはもう何年も前に、郵送コピーと雑誌記事索引システムがくっついたと聞いたときからわかっておったわい。これは画期的と。
て、自慢したいわけじゃないよん。
その時、官僚様がおおせられたか。
注文が増えると困るから宣伝しない
だって。まったくもって正しい窓口官僚様。ついでに雑誌記事索引は正しすぎる索引官僚様がやっておられるよう。
いやさ、だから独立法人になったほうがイイっていってんだわさ。