書物蔵

古本オモシロガリズム

悪の帝国の悪の制度「中央図書館制度」!

G.C.W.さんが県立と市立の機能分化について論じている。あいかわらずスルドイのー。この方(あったことナイが)問いがするどいので,つい,答えを出したくなってしまふ。正しい問いをたてられる,ちゅーのは特技のひとつだわさ。
んで,ここに勝手にレスを。たしか,一部に異常にウケた「日本レファレンス史のミッシングリンク」も,氏の疑問的片言隻句にインスパイアされて書いたのだった…)
この話題も図書館史のオモシロネタの宝庫なのだ。できれば隠しておきたい(^-^;)んだけどちょっとだけ。

中央図書館制度

GCW氏はこう推察している,県立図書館の機能強化や県レベルでのネットワーク構想を業界人があんま考えたがらないのは,戦前の中央図書館制度への忌避感があるのではと。

「中央図書館制度」は悪の帝国の悪の制度ぢゃ!

とゆーことに今の通説ではなってをる。
手近にある図問研の大辞典によれば,昭和8(1933)年7月1日公布の改正図書館令(勅令175号)第10条で定められた「中央図書館」のことで,

道府県を単位に,管内(県内)の市町村立,市立図書館を指導し,その連絡統一を図らせるために設けられた制度で,道府県立図書館または県庁所在地の市立図書館がこの指定を受けた

ものという。ようするに,県立図書館or先進的市立図書館が県内の他市立を指導できるという制度。
で,この制度が末端図書館の悪の統制(思想善導)につかわれた,ということに通説ではなっているのだが…
ただ,わちき若干疑問におもっている。というのも

戦後の途中まで,むしろ良い制度と業界では受け取られていたという事実

がある。これが悪の制度とされたのは清水正三氏がさかんに鼓吹したかららしいのだ。ご自身の東京市立での体験からそう言ってたらしいが,全体としてほんとに悪い制度だったのかは,まだ,だれもまともに調べていない。実は一定程度,(特に地方で)図書館の発展にプラスではなかったかとの憶測もあるのだ。まあ実態は岡田温がどっかに書いてたように,いろいろやろうとしたが(良いことも悪いことも)なにもできなかったというところかもしれない。が,とにかくまともな研究がない
それに,大日本帝国アタマからしっぽまで悪の帝国だった,という前提をとらずに,日帝米帝をもうちょっと厚顔無恥にした程度の帝国ととらえた場合には,この制度自体があんまり悪いことに見えてこなくなるんすけど。

1)貸出用コレクションをつくる 2)図書館経営の調査研究および指導 3)おすすめ本の目録編纂・頒布 4)業界機関誌の発行 5)図書館に関する研究会・協議会・展覧会の開催や斡旋 6)資料や用品の共同購入の斡旋 7)郷土資料のコレクション
(「大辞典」p.328,図書館令施行規則第7条の記述を今風にいいかえた)

大辞典によれば,これらの任務によって中央図書館の指導性が明らかなのだそうな(わちきは,これだけでは必ずしも明らかでない,としか思えないが)。ともかくも通説はそうなっておる。
それはともかくこの通説をたとえていえば,そう,県立図書館を,門下省じゃなく国会図書舘が指導するようなもん。('0'*)あっ! これ,まんま図書館戦争のモチーフじゃないの!
敗戦前はなんでも真っ黒で,敗戦後はなんでも真っ白ってな図書館史観でなにかを説明した気分になるのは困んだわさ。左翼であれ右翼であれ歴史は実証的にやるべき。そーゆー意味では南京図書大略奪説を批判した金丸裕一氏は左翼的観点からやっている(ご自身がこのようなことを書いている)のだけど偉いと思う(って,わちきは右翼か?って… そりはね… ヒミツなのじゃ。てか,読んでる人が勝手に判断してちょ)。
そうゆー意味では図書館史はいくらでもオモシロイんだけど,ほっぽりっぱなしになっていただけあって,いまごろ1970年代ばりの本がでちゃうからなぁ。

県立図書館は海兵隊になれるか

市町村立と都道府県立の機能分化については,「中小レポート」と併走していた,まぼろしの「県立レポート」の失敗*1が効いている(最近,わちきのブログは「まぼろし」だらけ)。その結果,業界内では,県立は市立からみてこうあってほしいもの,ということでしか機能が語られなくなった。
ニッチ(すきま)産業の場合,環境の変化にあわせて主体的に生き延びていかないと消えてなくなってしまう。その実例を活写してとっても面白かったのは,この↓本。
アメリ海兵隊 / 野中郁次郎. -- 中央公論社, 1995.11. -- (中公新書)もともと軍艦乗り組みの警察官もどきで,ほっとけば陸軍と海軍の狭間で消えていく存在だったものが,いまではエリート軍隊ですからねぇ。お役人必読よん。
って,話が軍事史になってしまった(^-^;)アセアセ ようするに県立の存続には,もちっと主体的ななにかをだしてかないと,日比谷みたいにほんとうに潰されそうになるよん,てこと。
あとは,日野を出たあとの前川御大がやった滋賀県立の「成功」をどうみるかですねー 一応は成功とみるべきですけど,その成功がむしろ県立の機能の再定義をむずかしくしたとわちきは見てますよー うーむ,図書館史は図書館政治史なのだなぁ…
それにですよ,皇国主義から民主主義へ主義は変わったけど,それを抜かせば御大の滋賀県立がやったこと,ってのは(構造的には),まんま悪の「中央図書館」と同じですよね(と,たった今気が付いたよ)。教育委員会をさしおいて県立図書館が市立設置のコンサルタントをするという… そして○○主義のため本をバリバリ貸し出す
でもこれ以上いうといろいろと… あぁコワコワ(ってもうほとんど言ったも同然?(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル)
ってか,戦前派の有能な図書館員をむち打ったようにご自身たちもむち打たれるようになるのぢゃ。歴史はくりかえす。一度目は悲劇として二度目は喜劇なのぢゃ。わちきもこんな図書館史の転換点に立ち会うことができようとはとは。

*1:1980s前半の『図書館評論』に載った薬袋秀樹センセの記事でしか論られてをらぬのだ。しかし… センセ相変わらず(って,逆か(^-^;)。若い時から)わかりずらい書き方だのー 中小レポは,県立レポと町村レポとの3点セットのひとつだったのぢゃ。あとづけ史観,勝ち組史観で図書館史が書かれているから,中小レポが単体でニョッキリ生えているようにイメージされてしまうが。