書物蔵

古本オモシロガリズム

 図書館史も,図書館政治の分析には役に立つにょ

けさの朝日新聞の3面に,下のほうだけどわりと大きく記事が(アサヒネットにもあり)

国会図書館、情報保存はお堅いサイト限定 反対多く転換

サイトの網羅的収集を目論んでたけど,やめたということらしい。末尾jpのすべてのつもりだったけど,結局,go.jpとか公的なものに限定するとか。

「全部集めて、全部公開する」という当初の方針に、法務省や音楽、出版、ソフトウエア関連団体から反対が相次いだため。特に個人のサイトには著作権やプライバシーを侵害しているものだけでなく、児童ポルノや犯罪教唆の情報まで含まれるものがある。

「全部集めて、全部公開する」とゆーのがダメダメだった。おそらく図書館史学的正解は「全部集めて、一部公開する」だね。
内務省から帝国図書館に交付され,今ではお宝コレクションとなった発禁本は,当時は非合法かつ反倫理的な本だった。だから(ここんとこ未実証)当時は(おいそれとは)見せてなかったはずだぞ。
歴史に学ばないIT派がイケイケドンドンをするからこーなる…

また、同図書館は、人権侵害などにあたるかどうかを個別にチェックできる立場になく、その能力もない。

そんなの帝国図書館にだってありゃーせんがな。内務省がキチンと?してたのだ!

同図書館企画課は「ネットには当時の人々の動きや考えが膨大な情報として載っている。すべて残したいが、理解が得られるところから始めたい」としている。

あれー,紙の出版物でもすべて収集してるとは到底いえない(かなり前,読んだけど納本率は8割ぐらいとか)のにねぇ。
これについては山本夏彦の中公文庫に,皮肉の効いた文章をはっけーん。
ここに引用しよっと。

昭和二十年まで新聞雑誌と書籍は,たとえ謄写版で印刷したものでも,納本する義務があった。納本しないと罰せられた。新刊がでると,だから二部を見本として内務省へ届けた。(略)
戦後その検閲はなくなった。したがって,納本の義務もなくなった。以前,納本された本は,一部は自動的に上野の図書館に回されたから,日本中の本は遺漏なくここに集まった。あれはまず完全な図書館だった。
ところが,納本の義務がなくなると,本も雑誌も集まらなくなった。国会図書館は,なるべく寄贈してくれ,くれなければ買うが,安くしてくれと頼んだ。版元の過半は応じたが,応じない版元もあった。たとえばエログロ雑誌は,国会図書館に納まりたいと思わなかったかもしれない。図書館の方も,納本してくれと一度は行っても,二度目は熱心に言わなかったかもしれない。したがって,今の国会図書館は,以前の上野の図書館と違って遺漏だらけである。

編集兼発行人 / 山本夏彦. -- 中央公論社, 1980.11. -- (中公文庫)
いや,さすがだっち。部分的に必ずしも正しくないところはあっても,大枠がしっかりしてるから読ませる。べつに戦前がイイってんじゃなくて戦後的自由がそんなによい結果ばかりは生まないってこと。
まず,納本の義務ってーのは,実は今でもあるんすが…。これは司書課程とかで習うかな?
納本しないと「過料」ってか,まー罰金みたいなもんを払え,って法律にあるっち。
けど,これ,払いたくっても払えないのだ。だから誰も払わせられたことがないっち。適用細則がない法律なんて空文だお。

同図書館は、納本拒否を個別にチェックできる立場あるが、その意思も能力もない。

ってとこ。
納本(国民の財産権の停止)を執行する政治的意思も力量もないのに,ネットの児童ポルノ集めよう,それをそのまま見せちまおうって公言する(に等しい)政治センスのなさも敗因だよねん。この政治センスのなさは,この前の館長二階級降格事件の背景にあるのではないかしらん。
あの内務省のお陰で*1本が全てあつまった帝国図書館でさえ「全て集めて全て見せる」なんちゅーナイーブ(愚鈍)な方針はとらなかっだんだち。そりは主に「その立場にあったが,能力がなかった」からなんだけど,全部見せられるだけの潤沢な税金をひっぱってこれないっちゅーことが,とりもなおさず当時の政府・国民の意思だったわけだすし。そんななかで帝国図書館はどーしたか。「内務省が全て集めてくれたけど,帝国図書館じゃ全部は見せないよ」てことにした。
と,本日は朝から図書館政治ネタですた。

*1:とはいへ,内務省の御威光が及ばない外地については寄贈で集めてるから帝国図書館自信もそれなりに努力してた。