書物蔵

古本オモシロガリズム

乙部(おつぶ) 図書館史の教訓

で,この格好の例があるのだ。図書館にも。帝國圖書館ね。乙部(おつぶ)って聞いたことないでしょね。ごく一部の愛書家には話題だったんだけど(山下武とか)。
いまでこそレトリックでそこの後身も資料保存!なんていうけど,あそこの戦前の本来的指向ってのは,「参考図書館」ね。まじめなことを調べる図書館ってこと。これは,大日本教育会の書籍館(現・千代田図書館)に通俗書を貸しだした一件でも明らかなんすが。
内務省の検閲制度の余録で本は網羅的にはいってくる。けど「うちはマジメな図書館だよ〜。ふまじめな本を読みにこないどくれ〜」ってーのがあそこの自意識だったから,どうなるか。
そう,マジメな本と一緒にはいってきてしまう,ふまじめな本の扱いに困るのだ。
で。
わたしは,当時の帝國圖書館ってのは,適度ないい加減さがすばらしいと思うです。これは賞賛してもしたりない。
まず,マジメに本を,まじめな本,ふまじめな本,どっちかわからない本にわけたんす。でもって,その次になにをしたか。適度に不真面目に対応したんだす。

  • 甲部(まじめ:価値プラス)   すぐ整理して閲覧させる
  • 乙部(どっちかわからない)   ほっぽっとく
  • 丙部(ふまじめ:価値マイナス) 捨てる

でもって,数年前,乙部が利用できるようになりました。何年ぶりなんだろ,半世紀はたってますよね。で,宝の山。けど,乙部が宝だってわかるのに50年はかかったわけで。
もし,当時の帝國圖書館員がマジメ君だったら,どっちかわからないもんも捨ててますね。残らない。「よくわかんないから,ほっぽっておく・とりあえずなにもしないでとっておく」ってのは,これは偉大な知恵ですよ。小才子にはできない技ですよ。後世に感謝される功績ですよ。でも,財政民主主義の世ではぜったいにむりなことで。租税議会主義だからこそできたことなのでありまする(原理的には)。
でも,丙部(へいぶ)は廃棄されているという事実は重いし,図書館業界では1960年代からの大躍進がフロー指向をうんでいるので,ストック機能を戦略的に考えるなんてことはできゃーしません。
冒頭の,図書館が古書店から(長期的)価値が証明された本を買っているのは,日本では図書館より古書店のストック機能がすぐれている証拠なわけです。