書物蔵

古本オモシロガリズム

日清戦争当時、絵草紙屋は「街頭テレビ」みたい

日清戦争当時、絵草紙屋は「街頭テレビ」みたいな機能をはたしていた。
山下重民「戰時東京市中の實况」『風俗画報』(85)p2~5(1895-02)

 去年以来、何処の絵草紙店に至るも、其店前には観客常に市を成せり。店頭掲くる所を見れは、皆是れ征清の新版画ならさるはなし。観客中自ら説明を為す者あり。「彼にあるは、平壌の役。原田重吉玄武門先登の図なり。「此にあるは、金州城攻撃の際、小野口徳次爆烈薬を以て、門扉を破砕する図なり。「此の如く連戦連勝とふハ、ナムト愉ゝ快ゝの事ではないか。書生後に在り、大声にて「帝国万歳、絵草紙屋万歳。〔」は無し〕
 戦争は、自然に地理を研究せしむ。戦争前は未だ曾て知さりし。〔略〕

絵草紙店が、この頃に街頭テレビ的な報道機能があったわけだけれど、山下はむしろ国民教育の機能を見ている。うしろにいた書生が「絵草紙屋万歳」と叫んだのは、えぞうし屋の立ち見機能をほめたたえてのことか。
山下の筆はこの後も「号外/\。大勝利号外と、声勇ましく連呼し、小鈴をふり鳴らし、新聞売子の匆々に走り行くにそ、人々嬉しさの余り、シメタ/\、又勝たと見江る。早く買へ/\。是れ娘何をクツ/\し居る。新聞屋ー号外やー。」と新聞売子から号外を買うおやじを描写し、さらに「雑誌店に至り、其陳列せる所を見れば、半ば是れ戦争に関せし者なり。」と、当時から昭和前期にかけてあった雑誌専売店の店頭陳列雑誌の半分が「日清戦争実記」(博文館)などの戦争ものであったと指摘する。