書物蔵

古本オモシロガリズム

出版月評を襲うもの

曰く、宇宙は太陽を要し、暗夜は燈火を要し、出版社会は、即ち其出版月報、兼其批評の雑誌あるを要す。然らば今日其新報は、果して何くんかある、出版月報既に倒れて、其後ちを継ぐものなし。
世上或は新聞雑誌の広告あり、略以て之を知る可しと雖ども、是れ固より限りありて、全体出版書籍中、僅々十の二三に過ぎず、況や甲新聞に広告ありて、乙新聞に広告なきもの、往々之れあるに於てをや、而して其広告文の如きは、皆な自費の喇叭、固より信を措くに足らざるなり。且つ新聞雑誌に於て、之を批評するものありと雖ども、彼れ概して〓かに其寄贈を受けたる書に限り、一種の広告、之を過賞吹聴するに過ぎざるなり、況んや無職の出版、一々之を精読精評すること能はざるに於てをや。
但し官報は、能く遺漏なく、〓国の出版物を報道すと雖ども、是れ唯だ其表題、及び著者、並に発行者を報道するに止まり、其果して如何なる事項の書載せるものなるや、毫も之を知るに由なし。
かきかけ

明治二十五年十二月五日発兌 出版評論 第一号 出版評論社 巻頭言より
オタどんからもらった複写にて読むに、明確に『出版月評』廃刊の後を意識しているとわかる。
がしかし、中身は出版月評に遠く及ばない。
「書物雑誌」(これは当時ないことば、昭和初年の造語)は難しいものだなぁ…(*゜-゜)