書物蔵

古本オモシロガリズム

「新聞紙には風俗関係新聞紙といふ特定のものはない」

戦前に「日本観光新聞」的新聞はなかった…ってなにがなんだかわからんか?

内務省の事務官さま(?)が、1936年のメディア状況をソーカツしとる。

新聞紙には風俗関係新聞紙といふ特定のものはない。一時地方新聞紙が中央新聞紙地方版の対策として、三面記事を扇情的、挑発的に捏造して、掲載したる為め、取締の対象となったが、最近に於いては斯種新聞紙は比較的少数で、大阪府に於て発行の[夕刊大正日々新聞」「大阪今日新聞」の両氏が其代表的なものである。
出版警察資料(19)p.24(1937.1)

ほほう、地方新聞紙において、赤新聞的といはんか、夕刊フジ的といはんか、「扇情的、挑発的」な「三面記事」は、この昭和11年ごろには、もうなくなってゐたのね。
戦後はむしろ、「風俗関係新聞紙」といふジャンルに該当するアイテムはあって、『日本観光新聞』なんざ、名のみ有名で知ってはいたけれど、最近、段ボール1箱まるまる其紙が、古書会館の週末即売会にならんでをるね。でも、なかなか買手がつかんのか、五反田にもあったけど。

「経済欄に特異の伝統を持つ「時事新報」」

出版雑誌の増加も相変わらず、会報、同人雑誌の増加に因るものである。
只新聞紙の発行状況に於いて今月特記すべきことは、明治十五年三月福沢諭吉の創始にかゝり、経済欄に特異の伝統を持つ「時事新報」が、十二月二十四日附を以て「大阪毎日新聞」に合併されたこと並に、「読売新聞」が第一面の広告欄を廃止し、之を政治蘭に充てるといふ新形式を十二月一日附を以て採用したことである。
出版警察資料(19)p.28(1937.1)

ははぁ、「時事新報」はいまの「日経新聞」よろしく「経済欄に特異の伝統を持つ」てゐたのかぁ。知らんかった。まあ、いまの日経も、じつは「文化欄」が充実してゐて、いいんだけどね(ややブルジョワ的なハイブラウなものだが)。
あと、新聞冊子のどの面が何面なのか、といふのは、なんとなく決まってゐるんだけど、上記、読売の例のやうに、変わりうる。しかし、第1面が出版物や薬品の広告欄だったのは有名なことだけれど、それを切り替えて現在まで続く第1面が「政治欄」だったとは、知らなんだ。ってか、途中で「総合」になったのかすら。でも実は、言説の分類において、総合や総記を政治で代用するてふのは、結構あり、たとへば出版年鑑でも初期は、総記が設定されてをらず、一年年鑑を政治にたたきこんでゐたこともあったのぢゃ。
かういった、時代ごとの、「東京五大新聞」とかといった主要新聞紙ごとの、記事のジャンルごとの特異ぶりといふのは、一覧になってをらぬのよ。
記事分類名(いはく「三面記事」)、欄名(いはく「政治欄」)、ページの呼び名(いはく「三面」)。
ほんたうなら、1970年代ぐらいに山本ブリ先生ぐらいが造ってくれてゐたらよかったのだが… 
しかし、かうして考えると、

日本で最初の官立メディア研究センターは、内務省警保局図書課だった

のではないか、と思えてくるよ(笑