書物蔵

古本オモシロガリズム

もう少しぢゃオタどん…もう少しで失われたミッシングリンクが…:日本古典SF創作事始め

シュンイチくんは彦根藩がらみの人であるといふ予測が

とりあへず、貫名駿一といふ名の人物を、インターネットによりググって追っかけると・・・

僧研究会機関誌: 一音成佛 - 第 5〜6 号、第 8〜10 号 - 94 ページ 1983
このヒナの主人が元彦根藩家老の家筋といゐ貫名駿一で、明暗家所蔵の明暗寺文献
類のこの内三女ヒナは、 2 才の時に最初の養女に出されて以来三回養女に行き、結婚
も数度に及んでいいる。( ,八年八月卞八日生)、三女ヒナ(明治十三年十二月二十三
日生) ...

と、駿一くんは、彦根藩家老の家柄であるとある。
そこで、サーチにて、彦根+貫名で検索すると、

侍中由緒帳 2 彦根城博物館彦根市教育委員会 1995 (彦根藩史料叢書)
貫名筑後家 二五二

と、貫名筑後なる人物がいたらしいとわかる。
おなじくサーチにて「明暗寺文献」を検索すると、つぎの復刻があるという。

琴古手帳 : 尺八資料虚霊山明暗寺文献 [黒澤琴古] [著] ; 塚本虚堂 編,塚本虚堂 編 虚無僧研究会 1999 KD171-G22

上記、ググぶっくの断片から考えるに、上記、「明暗寺文献」にシュンイチくんのことが書いてある可能性大なり。
また、次のように、

世界の平和を謀る井伊大老とハリス: - 22 ページ
books.google.co.jp/books?id=uuo5AAAAMAAJ
北村壽四郎 - 1934 - ?スニペット表示
... 此出版に際し多大の援助を賜った方々に對し、又本書出版の三君より示繁を象りましたにっき、殊に西川君より懇篤なる感想文を與へられて、野著に一何卒御叱正を賜らば大幸の至りと存じます。此著作に際し西川太治觔、貫名駿一、西村繁次觔ケまして、文.

彦根藩がらみの昭和9年の本に、話を聞いた相手としてでてきておるので、彦根藩家老の家の、貫名駿一は1934年にまだ存命だったことはほぼ確実。
また、女義太夫・呂昇の伝記に、共楽会(月一回、南地演舞場で開かれた名人会)の幹事、としてシュンイチくんがでてくる。1897(明治30)年のこと。

たうとう大阪府会議員のシュンイチくんの略歴をゲットす!`・ω・´)oシャキーン

さらに貫名駿一といふ名の人物を追っかけると…
これを見よ!m9(・∀・)

貫名駿一氏
 清江、金亀山人又は楽貧翁の号あり、父は奥山右膳、後幷*物と称す、母は愛子、彦根藩士三浦五郎左衛門の養女なり、嘉永六年十一月二十五日を以て犬神郡彦根町金亀町(元内曲輪)に生まる、長兄は故奥山省三(共要)、次兄故修理は有栖川宮家臣永野物集女の養子とある○家は井伊家の一門にして昔南朝に仕へ、宗良親王を奉じて井伊氏と共に諸所に転戦し又後醍醐天皇の皇子無文禅師即ち宗良親王の御弟を奉じて遠州井伊ヶ谷に臨済宗の大伽藍奥山方広寺を建立して無文禅師を開祖としたる後今日に至る迄血統連綿たる名家なり○氏は明治十七年本籍を大阪府北河内郡に移し帰農を試みたるも翌十八年の大洪水に遭遇し失敗に終る。当時大阪府会議員に列したるを以て大水害善後策を講究して淀川大改修のことを大いに府会に於て議す、又京都府の疏水事業に対し淀川沿岸水害予防工事として金十五万円を得たる如きは当時其委員として内務当局に縷々出頭して終に成功したるものにして府会議員として克く其職責を尽したるものと言ふべし○現時総ての事業と関係を絶ち、書画盆栽を以て老後の趣味となせり○大阪市住吉区天王寺文の里三二五ノ三。

近江人要覧. 第1輯 近江人協会 昭和5 p245-246
*冠のちょんちょんがない漢字。

昭和九年の訂再版でも同じ。なんと誕生日までわかってしまったo(^-^)o
ん?(・ω・。) よく考えたら、なして明治23年の官報記載は士族ぢゃないの(。´・ω・)?
でも、場所や府会議員というキャリアからいって、この人だよなぁ…
それにキャリアがいきなし、「○氏は明治十七年本籍を大阪府北河内郡に移し帰農を」というとこから始まってるのも(σ^〜^)σぁゃιぃ

もしもーし、もすかすてあなたは明治15年にゃ京都にゐて、日本最初の古典SFを創作したんぢゃあ、ないですか〜?

と、オタどんに航時機に乗っていってもらひ、文の里で楽隠居しとるシュンイチ翁にたづねてもらほうかすらん(゜〜゜ )
文の里って、さういへば、むかーしのオトモダチの住所ですの(^-^;)

探索メモ1:Natural born bibliographer ババ・カズヲ!

しかしわれながらよくもまあ、「近江人要覧」なんちゅーレア資料に行きつけたなぁ…(*゜-゜)
まづハ、彦根藩の家老スジでは、という見立てがあったのと、あとこれだこれ(σ・∀・)

日本人名情報索引 (研修教材シリーズ (No.7))

日本人名情報索引 (研修教材シリーズ (No.7))

馬場, 万夫, 1934- || ババ, カズオ のこの本、いまでも現役なんだワァ.*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(n`∀`)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*!!!!!☆
といっても、長尾先生ばりに一切合財フルテキストに変換できれば、問題ないかな(σ^〜^)σ でもそれって、おそらくこの日本ぢゃあ、あと半世紀はかかるね(o・v・o)b
しかし、万夫をカズオとは、名乗りの読みはむつかしいなぁ(゜〜゜ ) 1万も、つまりたくさん数があるから、カズか?

探索メモ2 貫名筑後

貫名筑後こと貫名徹は、家老職なれば、『三百藩家臣人名事典』に出るだろーとおもって引いたら、あっさり出た。もともと主スジの出らしい。意外だったのは、『近世名家なにがし』にも出て、それに出典もあったこと。

探索メモ3 おほ枠

大阪府会議員たる駿一の、略歴ゲット成功の原因は次のやうなもの。

  1. Google booksで、駿一が彦根藩の家老筋だといふ情報がゲットでけたこと。
  2. いささかバカにしてをった――だって排列の書誌分類が手作り感あふれるもんだから――『日本人名情報索引』を、愚直に使ってみたこと。

これらのことから言へることは、次のようなこと。