書物蔵

古本オモシロガリズム

文士録の濫觴は?

年鑑という形式や、人名辞典、名鑑などの歴史につきてはなんどか論じたことぢゃったが、さすが、いなてっちゃんのお師匠、少雨荘が、きちんと近代はじめから見ていてくれたことぢゃった。

齋藤昌三「東京現在著作家案内解題』『明治文化全集』第20巻p31
 今日世に行はるゝ「何々年鑑」なるものに文芸乃至文学家の欄の設けられたのは輓近のことで、この種の年鑑的出版物としては相当先鞭をつけたものと見らるゝ、明治二十三年の『東京百事便』には文章家や歌人俳諧、その他速記者、狂言作者、諸芸人の項は在っても、著作家の一行も見当たらぬのは社会的に存在を認められなかったものであらう。それが今日にては『文芸年鑑』として年々厖大な出版物を見るに至ったのは、時代の進展とは云へ、僅々三四十年前の当時に於ては夢想だもしなかった存在であったのだ。
 然るに明治二十五年三月博盛堂(大売捌は金港堂)によって出版せられた『著作家案内』は僅かに六拾五名を紹介したに過ぎないが兎に角『文芸年鑑』式の最初として見ることが出来やう。
 本書は各作家を五十音順に、一頁に二名宛四六判四十頁に亘り、その頃の諸家を殆ど網羅したもので、今日の眼を以てしては全然忘れられて居る者、辛じて思ひ浮ぶもの、又は初めて著作家であったことを知り得るものなど、興味的に一瞥する丈でも面白い。
 (略)
 編輯者桜井徳太郎に就ては、何ら聞く所はないが、多分は博盛堂主人であらう。

文中の『東京百事便』は、いちど、下半身学派イノショー先生のうらみごととして立項したことがある。かの(?)フジミ書房(復刻屋さん)が復刻したこともある(国会図書館にないね)。

学者の図書館談義(その2)東京百事便
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050517/p1

そのかみ、小説家・文士が尊敬されない職業であったことは、これは昭和40年代までそうだったような気が。。。
それはともかく、
1892 東京現在著作家案内解題
1910 「〔現代文士録(いろは順)〕」『文章世界』第5巻第2号 p. 16 明治43年2月
文学界. 2(1) p.1-16 1925-01 生年月日、住所、本名など300名