書物蔵

古本オモシロガリズム

まあ研究者の間では常識ではあるわな:戦前雑誌・新聞の発行人やら十銭パンフやら

友人にこんなの借りた。

  • 佐藤卓己「新聞の大衆的転化と右翼ジャーナリズム:キャッスル事件の構造(近代日本史料研究会 2006年11月16日)」『戦後日本研究会・近代日本史料研究会報告集』3 p.93-122(2007.12)

そしたら出版史がらみのことがいろいろ。

伊藤〔隆〕 略)ただ、[私が申し上げているのは]そうではなくて、明治時代からそうですが、発行人というのは(佐藤〔卓己〕 引っ張られてもいような人)。そうです、引っ張られても構わないけれど、その代りあとで慰謝料のようなものをちゃんと払うという契約でなっている人、という気がしたものですから。

これは中川吉太郎という発行人について伊藤先生と佐藤先生がやりとりしたところ。伊藤先生が右翼としては名が通ってないから実在の人物かと聞いたのに対して、佐藤先生が、裁判に出廷するぐらいだからいたのです、という答えをしているところででた話。
まへMさんに、「上森子鉄あたりも、そうだった」と言われたことがあったねぇ。
してみると、戦前の本、特に新聞雑誌の発行人にはきをつけねばらなんということですなあ(*´д`)ノ 発行人に名前があるからといって、その新聞雑誌で主要な位置を占めていたかどうかは、わからない。
オモシロイとこはまだあって。

佐藤〔卓己〕 ましてや宅野田夫の『第一新聞」は、部数は少ないですが、一方で『キング』の大広告がこの新聞には載っています。講談社が金を出しているわけですね。もちろんそれはたかりもあるでしょうけれど。
伊藤〔隆〕 あれは先に広告を載せるんです(笑い)。そして、あとから集金する。

実際の『日本第一新聞』は3000部ほどらしいが(部数事典によれば、1935.3.25号が3200部)、これなぞ、立派すぎる広告から、「第一新聞」の「総会屋」性を疑っているところ。立派すぎる広告から総会屋雑誌の見極めができるという話は、何年もまえ古書展でMさんに教へてもらったところである。
十銭パンフレットのことも出てくる。
佐藤先生が2ちゃんねるを引きながら、「もっと怪文書みたいなものを研究する必要があるし、それを探し出していくには、右翼の新聞などをちゃんと読まなければ」と言っているのを受けて伊藤先生が、真崎文庫には膨大な怪文書がありますよ、と紹介し、さらに、「真崎甚三郎閣下」といった個人宛怪文書だけでなく、一般に売っていた同様のものとして、

今日の話題社とかいろいろな名前の出版があります。あれは何判というのかな、B5の半分(渡邉〔昭夫〕 B5の半分というと、これぐらいの大きさ[手で示す])。そうそう。その大きさのパンフレットはは全部、十銭です。それが昭和13年ぐらいまで出ています(略)。
 時々古本市などに行くと、その十銭のものが[出ている]。集めた人がいるのかもしれません(笑い)。見てみると、中はいんちきなものですけれど、『夕刊フジ』と並べてはいけませんが、あのでかい見出しと似たようなところがあるのね。

と10銭パンフに言及しておった。
ほかにも、東大時代、伊藤隆先生が紀子(きこ)さまに講義をしたら「伊藤隆を抹殺しろ」と立て看をたてられて警察が見回りに来たりした話とか、差別語狩りのころ大新聞の記者がぶるっちゃう話とか、戦後史のトリビアもあってオモシロ。