書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館事業の課金問題

金沢文芸館の貸出停止

あの、道の角に立ってる元銀行だったっけ。
ネットの一部で金沢文芸館金沢市)の貸出停止が話題となっている。

金沢文芸館では年間観覧券(一般1千円、大学生500円)または市文化施設共通観覧券(2千円)を持つ人を対象に館内図書を無料で貸し出してきた。しかし、著作権法では著作物(この場合は図書)を借りた人から料金を受け取ることを禁止しており、同館では観覧料が同法で規定する「料金」に該当する可能性があるとして貸し出しサービスの中止を昨年末から検討。4月1日以降、図書の貸し出しを中止した。
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20090627401.htm

これは最初に北国新聞が2009.1.24に報じたもの。
http://www.hokkoku.co.jp/news/HT20090124401.htm
2008年度まで有料登録者に無料貸出をしていたのを、文芸館の内部(職員)からの問題提起により、<無料貸出でも登録に有料なのは、著者からの許諾が必要と(著作権法で)される有料貸出にあたるかも>と思うのでやめますよ、という話。実際に2009年度から文芸館の無料貸出は停止となったという。
ところがかなり前に民主党の議員先生(川内博史衆院議員)が、こういったケースは著作権侵害にあたらないという政府答弁を引き出していたという。報道で知った議員が、再度、政府に質問したという話。
報道や代議制が本来的な機能を発揮して、社会科の教材のようないい話。

課金問題というもうひとつの文脈

んでもここでは「貸与権」の適用関係という狭い話題ぢゃなくて、もうひとつの文脈、つまり「課金」の文脈でチト考へてみるね。
金沢文芸館はおそらく図書館法による「図書館」ではなく、図書館類似施設か、あるいは博物館なのだろう。だから最初から公立図書館に禁じられとる無料原則(図書館報17条で)にはあてはまらない。
でも、わちきのように、「あれもこれもトショカン」という立場でみれば、十分トショカンなわけで、これは畢竟、トショカン事業における課金問題というトピックになる。もちろん、ここで「問題」というのは、プロブレムではなくて、イシューという意味。

無料「原則」の相対性

いまからもう十年以上前かすら、こんなもんを読んだ。
「社会資本」としての図書館 / 国立国会図書館図書館研究所. -- 国立国会図書館図書館研究所, 1997.7. -- (図書館情報学調査研究リポート ; no.10)
もうおぼろな記憶だが、インフラ(これも人口に膾炙したのはじつは1990年代だったような)として図書館を再定義しようとしていたものであった。全体コンセプトは極めてよかったのだが、一部は意外とつまらなく、これだったらわちきのほうが数段よく書けるなぁと思ったことだったが、この中の一章が図書館サービスにおける課金なのであった。そこでは図書館事業における課金が、館界内言説からではなく、財政政策一般から論じられていた。
その頃わちきは良い子だったので1970年代の偉大な人々が作り上げた言説空間の中に棲んでいたので、この報告書で、課金というのはそもそも政策的なものであり、さらにいえば、利潤や営利とは関係なく需給調整のコントロール手段として公共サービスに課金もありなのだ、ということを知った。なーるほどと思ったです。

あたかもよし、この前読んだ「いまどきの図書館本」

わちきが収集対象としておらん「いまどきの図書館本」
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20080823/p4)の課金の章で、なんとまぁかの志智嘉九郎が、べつにいかなる場合にも課金できぬというわけでもないでしょ、ぐらいのことを言っていたことを知った。どうも1970年代に作られた館界言説空間では、さまざまなよき理念が教条化してしまって、その中に17条の憲法化(無料原則の教条化)があるように思う。
志智が課金容認論をいうのも、考えてみればアタリマエの話で、1950年代までの館界リーダーたちが、新しくできた「1950年図書館法」を教条化することなどありえないわけだ。
もちろん戦前から1950年代にかけてのリーダーたちも、できれば閲覧料など取りたくなかったし、それらを担保するための国庫補助などを要求したりしていたわけで、別にビンボー人を排除するために課金をしていたわけではない。需給の調整弁としての課金。
1970年代の言説が効力を弱めてくるなかで、課金問題も1950年代までの自由な議論にさらされるような気がしてきた。
あたかも、クスダッチの遺産調査をしていて、この課金問題にブチあたったというめぐりあわせもありここに記述する次第。

補足1:かならずしも著作権法に問題は回収されない

誤解するむきがあるだろうからメモるけど
「課金」ってのはなにも、貸出契約の対価に限らない点に注意。著作権のある本の貸出契約について、著作権者の許諾なしに課金すりゃあ、そりゃあ違法になっちまう。そうでなくて、クスダッチの業績のコア・コンピタンスに係る課金にゃのだ。70年の時を超えて、日本図書館界はおなじ歌を歌う。このまへそれに気づき、あの本の課金の章から文献にあたらねばならん、と思いついた次第。なんといううかつな(゚∀゚ ) (って、ここはわざとボカして書いてあるので、わからんでいーデス)

補足2:一般に、現行法制およびその解釈を不変と見ることは…

よく友人Cがいうのだが、政権党の人々に、「法にこう書いてあるでしょ」といって迫るのは、あまり意味がない。だって、彼らにとって法とは作るものだったり変えるものだったりするからだ。もちろん、あんまり勝手に変えてもらっても困るわけで、そのために、不磨の大典、じゃなかった日本国憲法があるのだろうけれど、彼らになにかしてもらう、ないししてもらわないように迫るには、「法にそう書いてあるから」以外の理由が必要になる。「以外の理由」とは、なぜ法にそう書きこかれたか、という理由でもある。そしてそれが(現在でも)説得力を持たないといけないわけで。

補足3:やっぱり書物蔵は、悪辣なる新自由主義者だった?!(゚∀゚ )

ん?(・ω・。)、やっぱす書物蔵は悪の書物奉行だったってか(゚∀゚ )アヒャ
まぁそれはそれとして、いまどきの図書館本の課金の章を読んで、「あはぁ、このキーワードが無料・有料にカンケーしとるのね」と気づかされた次第。「外部経済性」とかいふのだが… でもあそこの説明はチトむずかしすぎた…(-∀-;)
ほんたうなら1990年代にイトガッチが展開した議論が、まともに議論されてれば、それなりのガイドラインができたのでは、ということが示唆されてたね。