書物蔵

古本オモシロガリズム

昭和18年、本を集めに第三帝国へ渡った日本人(大日本帝国にBUNSOKU! 2)

びっくりですなぁ(*´д`)ノ1943年から1945年にかけて、文献を集めるためにわざわざ欧州へ渡った人がいたとは。もちろん仕事でなんだけど…
犬丸秀雄「海外学術文献蒐集の思い出」『学燈』50(12)p.17-20(1953.12)
犬丸, 秀雄 (1904-1990) ‖イヌマル,ヒデオさんってば、戦後的価値観から誉めれば、日本国憲法研究ではじめてGHQ文書を使った人であるらしい。
でも、戦時中の仕事のほうがすごいよ!
戦局が苛烈になってきた(=負けが込んできた)昭和18年に、ソビエト・トルコ経由で欧州に入り、スペイン・ポルトガルやら、イタリアやらフランスやらへ科学文献をあつめて奔りまわる。あつめた文献は、ドイツからスウェーデンソビエト経由で輸送に成功したこともあったそうな(潜水艦もつかったというが、量はごく少なかったという)(・o・;)
でもこれらルートも途絶して、やったのは。

「科学論文題目速報事業」大日本帝国のBUNSOKU!

そこで私はこれらの学術雑誌に掲載された論文の題目を電報によつて文部省に知らせ、文部省がこれらを研究機関に廻覧して詳報を希望する分を通報して来るのを待つて、そのレジュメを文部省に電報する作業に力を注いだのであつた。

めちゃめちゃモノスゴイ(o^0^)o
これぞ本当の書誌情報サービス(それも海外から)じゃありませんか(ものすごく小規模だけど)!これってば、すわ、BUNNSOKUか! と題したけれど、まさしくもって。

この作業は速報事業と呼ばれたが、このこの事業のために十数名の内外科学技術者の協力を乞い、又大使館の前述のN商務参事官以下数氏の援助を得たのであつて、これは今日問題となつている海外学術情報機関の先駆ともいうことができる。

「今日問題となつている海外学術情報機関」って、のちの日本科学技術情報センター(1957年設立)かなぁ。だとすると、当の犬丸先生ご自身が、JSTの先駆とのご託宣を述べていることになる。
あーびっくりした(^-^;)アセアセ

関連文献は歌集!!!

ちなみに、この文献以外に次の文献があるという。一部が引用されているが、「小話」のほうが具体的で詳細であるよう。『近現代日本人物史料情報辞典3』では「の思い出」と「小話」の書誌が混同されている。・犬丸秀雄「海外文献蒐集小話」『新小説』(掲載号不明)
いや、じつは、つぎのサイトをみて、もしかして『人物史料』に載ってるかとおもって、みてみたのだ。他でもない伊藤先生担当で概略が。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/kensei/inumaruhideo.html
そんでもって、つぎの歌集が仮性戦時図書館情報学ボンだとわかった
海表 / 犬丸秀雄. -- 白玉書房, 1964
なんつーか、戦後の歌集に大東亜図書館学の片鱗がのっておるというのは、まったくもって意外なり〜
仮性図書館本としてさっそく「日本の古本屋」でゲットじゃ!`・ω・´)シャキーン

日本主義図書館学をもとめて

図書館学やドクメンテーションの歴史がらみ、それも、日本固有で(日本主義図書館学!)、珍奇なものであればあるほどなおよい。 戦後期は米国流のアットーテキな影響下におかれていたんで、あんまオモシロくない。ってか、それなら よくも悪くも、日本固有の何かでなけりゃあいかんのじゃないか、とか、世界の1/3を現に支配している我が国であってみれば、それに足る指導的な地位を云々、ってな戦後世界では思いもつかん言説をつくる気分にもなってこよう。
などと考えながら、ついでに、オタどんに一年オクレで、日本地政学へのハウスホーファーの影響についての論文を読んでみた。