藤沢チカヲの追悼録を拾ったのを機に、スメラ学塾についてオタどん記事目次をつくらんとしてみたが。
挫折。
スメラ学塾研究文献
ところで、ほぼ唯一と思われる研究文献があるが。
- 森田朋子「スメラ学塾をめぐる知識人達の軌跡:太平洋戦争期における思想統制と極右思想団体」『文化資源学』(4)(2006.3)http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cr/acr/bulletin/bulletin4.html
未見、というか、この紀要、どこにもないから読めないっす(´・ω・`)
ふつう大学の紀要ってのはいろんな大学にばらまかれるものなんだが… へんなの。
ほかにもオタどんは、つぎの論文がスメラ学塾について若干、触れているという。
- 昆野伸幸「吉田三郎の<皇国史観>批判」『日本思想史研究』(33)(2001.3)p.115〜130
「神保町オタオタ日記」スメラ学塾エントリ「情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎」!
- (その1)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060415/p1
坂倉準三(建築家)が結成に参画したこと 坂倉事務所と同居していたスメラ学塾事務所 - (その2)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060417/p1
スメラ学塾関連団体 関連名簿 これオモシロ - (その3)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060419/p1
川添紫郎(川添浩史) のちのレストラン「キャンティ」創業者 - (その4)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060420/p1
高嶋辰彦 (1897-1978) ジャヴァ第16軍宣伝班 - (その5)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060421/p1
スメラ学塾の概略 所在地、役員、組織など 奥村喜和男(革新官僚) - (その6)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060422/p1
スメラ学塾とスメルクラブの関係 川添浩史、仲小路彰に会う - (その7)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060423/p1
スメラ学塾の講義場所 (第1期)白木屋 (第2期)共立講堂 - (その8)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060424/p1
第1期講師 市河彦太郎(外交官)、石原廣一郎(産業人)、丸山熊男(仏文)について - (その9)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060425/p1
スメラ学塾の解散(1944.2.23)について - (その10)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060426/p1
義父・西村伊作(文化学院長)の見たスメル学塾 「連中は一種の誇大妄想狂であった」 - (その11)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060427/p1
仲小路彰 略年譜 - (その12)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060504/p1
仲小路彰の”スメラ太平洋圏”・ミユ大陸説(1942) - (その13)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060509/p1
赤尾好夫(旺文社社長)が応援したこと小牧実繁(日本地政学)の関係 - (その14)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060512/p1
つながり 精研〜皇戦会〜地政学「京都学派」〜戦争文化研究所〜スメラ学塾〜クラブシュメール - (その15)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060514/p1
(番外)京大地政学(皇道・日本主義) 対 東大地政学(ナチスドイツ流) - (その16)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060516/p1
藤澤親雄 「実は伏犠とか或は神農、黄皇、尭舜といふのは、これは日本人」!!! - (その17)http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20060519/p1
藤澤≠親猶 マダガスカルにユダヤ国とはチト暑すぎ(・∀・)