書物蔵

古本オモシロガリズム

行政法学各論は論者が…

NDCの323.9には行政法があるけど,そりは総論のとこ。328をみればわかるけど,行政法各論ってのは,きちんとした法学者がやってくれない領域なのだ(いややるべきとは思うけど,以下の理由でできないのだ)。 図書館関係法,著作権法論議にも,これがそののまま当てはまる。残念なり。副島センセは今じゃ陰謀史観にはしってるけど,いいしごともしてたんだよ。

法律学の正体 / 副島隆彦,山口宏. -- 新版. -- 洋泉社, 2002.7 p.271-272(強調は引用者)
山口 副島さんから行政法総論についてお話がありましたが,言うまでもなく総論がある以上,行政法各論というのがある。ところが,各論についての大学での講義のテキストというのはじつはないのが現状です。どうしてないのかというと,いわゆる行政法と分類される法令の数は膨大な者で,その一つ一つについての専門家というのは学者の中にはいないんです。仮りに専門家がいたとしても,各法令についての専門学者を合計するとどのくらいの人数になるのかわからない。その人数を大学が雇っていけるのかというと,一見明白にこれは不可能なことですね。
副島 道路交通法建築基準法農地法都市計画法社会福祉関係のさまざまな法律,公害関係の法律,それから税法のたぐいもすべてこれに入るんですね。
山口 そうです。日本に法律と呼ばれているたぐいのものがいったいいくつあるか知りませんが,そのうちの九割ぐらいはおそらく行政法各論に分類されるだろう。それほど数が多いのです。じつは行政法総論というのは膨大な数の行政法各論の行政法各論の最大公約数的なものとして,総論的に言えることを一括して論じている領域と思っていただけるといいと思います。学者のなかにも行政法各論についての専門家がいないものですから,じつは行政法の各論の専門家というのは行政官僚(役人)であります。彼らは自分こそ行政法についての専門家だと思っています。つまり,その法律を立案した役人がその法律について評論を書き,論文をものし,その領域についての第一人者になってしまうという免れがたい現象があるのです。各種行政法は,日本の国家権力を生命体たらしめている,無数の細胞です。その領域についての専門家が,他ならぬ国家権力を構成する高級官僚それ自体なのですから,日本人のお上意識がどうのこうのと言ったって,現状の国家主導型社会が変化するわけがないことがわかるでしょう。
 (中略)
 文化系知識人の方は,非常に大味な議論として政府批判ですとか国家批判をいろいろされるわけです。それが対応するレベルにおいて一定の衝撃力,説得力をもつということは,私は否定しませんが,そういう方たちにここで改めて言いたいのは,やはり行政法についての議論,そこで論じられていることをある程度研究されたうえで,あえて大風呂敷とは申しませんが大味な議論をしていただくと,もっと議論が実質化すると言いますか,現実に力を持ってくると言いますか,官僚にとっても脅威になるだろうと思うのです。それがひいては,建設的なかたちで実際の現実を動かす力になりうるのではないか。

ある程度研究したうえで,あえて大風呂敷とは申しませんが大味な議論を,っていったら山本先生は怒るかなぁ… それはわちきがいま正直,一番のぞんでいるものなんだけど…