書物蔵

古本オモシロガリズム

図書館大戦争!

業界向け口上

(業界外の方からですが)いったい書物奉行はまじめにやっておるのか,というツッコミをいただきました。それに直接こたえるものではありませんが…
えー,世俗的にはまじめでないと思います。でも,本人は実はこれで結構まじめに言論活動をやってるつもりなんですよ。
そろそろgoogleにも引っかかったようで,業界スジからのお叱りなども寄せられて,いろいろバトルすることになるかもしれません。その覚悟をかためつつあるところです。だれでもコメントを付けられるままにしてますし。
ですが,この業界,あまりにもバトルがなさすぎた…佐野眞一が,本コロの初出で書いていたように,あまりに善意にみちあふれた人たちばかりで。その佐野も,業界にわたりがついたとたんに,トーンをさげてしまいまい,残念だったことを憶えてるっす。

図書館大戦争

バトルといえば…
図書館界』がやってくれました。Vol. 56, no.6 (Mar. 2005)を見るべし。
誌上討論 現代社会において公立図書館の果たすべき役割とは何か 第2回」があります。今回は,第1回の根本東大教授,糸賀慶大教授への主張への反論集になっているんだけど,まかい分析は後まわしとして,ひとつだけ。
論争をすることに意義あり!ただし限定的な(いま論争をすること自体ダメという意見がひとつあるが…。馬場俊明氏のもの)
ホントは

このような企画は,協会の機関誌たる『図書館雑誌』でやるべき

なのだよ。善意あふるる編集委員君。そりゃー斬り合いだから血がでるよ。イタタってなるよ。けど,ほんとはせめて1990年代のはじめあたりからしっかり論争すべきだったと思うぞ。
こんな「冬の時代の図書館において」なんで「路線論争」をしなきゃならないの?って(馬場氏p.325),そりゃー

夏(バブル期)や秋(1990年代)にしなかったから

じゃないの。
せめて秋にはすべきだった…。
で,話をもとにもどすと,論争自体が結構だとわたしは書きましたが,限定的といいました。

もう手遅れ

現実を救う手段としては。

敗戦処理としての論争

もう公共図書館全面委託の流れは止まらないでしょ。正職員が直営で図書館を運営するという形態は,むしろ少数になっていくと。直営にもメリットがあるし,うまくいけば結構なものにもなるけど,もうダメ。私自身は直営論が好きなんだけどね。共産党社民党が政権党にでもなれば別だけど……(そりゃあ,ない!と支持者ですらいうでしょう)
正職員による直営は,国立と県立と大学にのこるということになりますでしょ(これでもちょと希望的観測?)。
そーゆー意味では,もう敗戦処理の段階なのだす。
でも,

なぜ敗戦になったのかは,敗戦後でも議論すべき

だと思うよ。
それが「利根4号機の索敵ミス」なんてものになるかもしれんし,「支那事変の段階から後戻りできなくなったんだ」というのになるかもしれんし,「神風が吹かなかったから」かもしれん。
戦争は絶対悪だから,議論することすらイクナイというのは戦後日本の陥穽でしたね。おかげで民間人(文民エリート)が軍事のことぜんぜん解らなくなっちった。これじゃ,それこそcivilian control(文民統制)なんてできないよ。
民営化は絶対悪だから,ぜんぜん議論してこなかった(正確には少しあったのを知ってはいるが)。
ま,それこそ学者の領分ではないかと。図書館(情報)学の場合,大学の教員に,学的研究者と運動指導者の双方の役割が期待されちまうのが悩ましいとこだけど。
幸いにして,『図書館界』編集部は「編集委員会としては,これまでの討論の結果をまとめることは,時期尚早であると考えている」というから,まだまだドンパチやってほしーよ。もう手遅れだけど,後世のために意義はある
戦艦大和の最後』読みましたか。あれの最初に青年士官たちの議論がありましたが,大和特攻の無意味さにも意義は見いだせるのではありますまいか(泣)。で,あの馬鹿馬鹿しさも吉田満によってコトアゲされてはじめて意味がでてきたわけで。もちろん,あの大量の鉄で,商船や省線を復興させたほうがよかったわけですが。