書物蔵

古本オモシロガリズム

なぞとき

これの謎解きをしますと,まず,本質的な価値として(つまりアカデミズム上),サダオミ本が二流でナベキン本が一流ってのは今も変わりません。
ですが,古書価は絶対的価値だけでもないんです。需要と供給(ニーズと刷り部数)が影響します。
一流本は専門外の人もみんな買ってもってたんですね。二流本は専門の人しか買わないし,あんまり刷られない。
でも二流本にニーズがないかというと…,これがあるんですよ。専門外のひとが,もうちょっとくわしく知りたいってときに必要なんです。
たとえば,あなたが「本物の十字架」の争奪戦について知りたいな〜とおもったら,世界に3点しかなかった本をよむしかありませんでした(数年前まで)
ひとつは19世紀にドイツででたヘラクレイオス帝の伝記(ラテン語!)。もうひとつは,ストラトスの本。これがイチバン詳細だったし英語で読めたのだった。じゃ,それ読もうと思ったら…
なぜだかスペインに販売部のあるオランダの出版社にペセタ(当時)で送金して,現代ギリシャ語からの英訳本を数ヶ月かけて取り寄せる,なんてことは(それは私ですが),西洋史専攻のひとでもビザンチン専門でなけりゃ,絶対しませんよ。
そんなことするよりも,二流でも日本語の本があるじゃないですか。サダオミ本。ふつうの教養人や西洋史でもビザンチン専攻以外のひとは,これ読みゃーいいんです。