書物蔵

古本オモシロガリズム

雑誌の巻号やら法定文字について

月曜夕方、アットワンダー2Fでの座談会「巻号ナイト2巻1号通巻2号」を見聞してきた(´・ω・)ノ
前半は雑誌歴50年になんなんとする成人漫画雑誌ボンの、コンテンツ変遷と、巻号表示についての話。後半は池川佳宏さんの巻号論。次のコピーも配布された。

  • 池川佳宏. 雑誌書誌の巻号や日付に関する報告. マンガ研究. (24), 2018-03, 131-138.

いろんな気づきがあった。何から書こうかな。

雑誌「漫画ボン」の100号飛ばし

事例として雑誌「ボン」は通号を100号分(マイナス方向に)飛ばすミスを1994年10月号でやらかしてしまっており、それが当時の編集長に聞いても、原因不明だったという話があった。

1994年9月号:通巻339号
1994年10月号:通巻240号

でも、それでさしたる問題もなく現在の539号(本来なら640号)まで来ているとも現編集長さんの認識であった。
わちきが思うに「事故」になるのは、年月次であって、通号は間違えても問題にならないということ。
表紙(背表紙)の年月次が間違えば、購買者(読者)が買い逃したり、重複買いで損害を受ける。取次や書店も同様だろう。それに対して通号はそうでもないということが、実証されている例だと思う。
巻号表示のどの部分が誰を読者(対象)としているか、いろいろと考えさせるオモシロき事例であった。実際、今はバーコード・データの内容が間違うと「大事故」で書店に謝らないといけないが、表紙の巻号まちがいではペナルティはないとのこと。
わちきの場合、もともと「法定文字」の歴史を調べているのでとても勉強になった。

巻号論を展開する場合の視点の持ち方いろいろ

上掲池川論文の文献中に次の典拠があったのだが、ネットでは本文がゲットできんかった。

  • 丸山昭二郎. 目録規則における巻次等に関する規定について. 鶴見大学紀要 第4部 人文・社会・自然科学篇. (29), 1992-03, p1-20.

ネットでゲットできた次の記述と、JLAの『逐次刊行物』によると、要するに、図書目録法では、雑誌全体について(いいかえると「書誌単位」で)記述することになっていて、そこに巻次の要素は書かれるのだが、あくまで全体としての記述にすぎず、各冊子(物理単位)で記述はそもそもしない。するとすれば、書誌にぶら下げる別のデータとしてだよ、ということを言っているらしい。

  • 諏訪 敏幸. 逐次刊行物における1つの単位としての巻号. 大図研論文集. (21) , 1998-08, 13-24.

ここで整理しないといけないのは、いったいどの知的分野で、どのレベルで巻号が記述されるか、ということ。
上記、諏訪論文は目録の電算化の過程で、実態として様々な巻号表示をどのようにシステムに落とし込むか、という目的のために整理したもの。だから、その必要上の巻号論しか展開せず、例えば特集号名などは初手から捨象している。
巻号およびその印刷物本体への表示は、誰のためのものなのか、何が根拠になっているのか(何も根拠になっていないこともあり)を一通り考えてみないといけない。
そもそも池川論文は、書庫出納で資料請求する際に同定に困った、それが書かれた動機だとのこと。そこからわちきが気づいたのは、製本単位、それも「図書館製本」の単位のこと。これは物理的に資料保管部門(たいてい閲覧課などという)がやっている仕事で、資料組織部門(整理課)の仕事ではない。

製本の背文字なども

@ワンダー2FでNDLオンラインの画面を見たが、各巻の表示、つまり出納を依頼する選択ボタンの左にでてくる巻号表示は、あれは製本の背表紙を転写したものではあるまいか。これから分かるように、図書館において巻号は一見、整理部門の書誌記述において管理されているようでいて、むしろ実は保管部門の製本、それも製本の背文字入れ、という実務において結果として管理されている部分があることがわかる。これについては『資料組織化便覧』(p.127)あたりか。
ただし、NDLや大宅のような雑誌図書館を除いて、製本されて長期保存される雑誌を持っている場合、それらは学術誌や総合誌であって、大衆娯楽系ではない。だから巻号について意識的に対応する必要が少ないと思う。
法定文字についてはこれが一通りの説明をしていてよいかと。ちゃんと奥付はある種の封建遺制だが、図書館目録などに役立つぐらいのことが書いてある。

  • 松田勇治. 雑誌の法律豆事典. 雑誌のウラ側すべて見せます! (別冊宝島, 423). 宝島社, 1999.1. p.232-234.

小新聞には1社に1、2人「必ず」いた「悪徳記者」

日本新聞学の開祖、小野秀雄。その代表作「日本新聞発達史」はいまだ、日本新聞史の定説として扱われているのではないか、という話をMさんに聞いて、それは拾わねばと思っていたので、数年前拾ったら、無くしてしまった。この前高円寺で安値(アカシヤさんで300円)だったので再度拾ってみた(´・ω・)ノ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971421
ずいぶんとバランスのよい通史だなぁと読みすすむと、ちゃんと恐喝新聞についても書いてある。

悪徳記者の横行は決して近代〔近年〕の産物ではない、明治廿年以前の大新聞には其種の不徳記者を見なかったが、小新聞に至つては必ず一二名の悪徳記者が居つた、しかのみならず社長夫自身恐喝を敢てしたものすらあった、大新聞が小新聞を加味するに至つて悪徳記者は其軟派〔大新聞の軟面担当記者〕に潜入した、だいちゅうの新聞社から此種の罪人を出したことは決して少なくない、然るに経済界は新聞記事の如何によつて動揺する場合多き為め我が国経済界の発達と共に其方面を担当する硬派の記者にして不徳行為を敢てするもの亦少からざる状態となった
(p.502)

悪徳記者は前からあったよ、大新聞にはいなかったけど逆に小新聞には「必ず」1社1、2名いたよ、という。これはスゴイ(@_@;)
悪徳記者が社主である場合、その媒体(小新聞)自体が、取り屋新聞、というわけだねぇ(゜~゜ )
明治20年以降、大新聞が小新聞的になるに従って、社会担当記者にも悪徳記者が発生し、経済担当記者が発生してからは、それにも悪徳化するものがあった、という証言。
大正10年末、福島県で「記事黙殺防止の県令」を発令したともある。

他人に頼まれ財物を受け記事掲載を中止し或は掲載を差控へたる者は卅日以内の拘留に処す

文献メモ

  • 編集・広告プロダクション情報. 白馬出版, 1987.11. 293p ; 19cm. 出版社、広告会社の企画・制作離れと共に、その外注・分業化が進む今日、プロダクションを抜きにしてはマスコミ産業は語れない、というところまでになってきています。そこで、より細分化されたこの業界の情報提供を試みるべく、87年6月から8月にかけてのアンケート調査と電話取材に基づき、編集・広告プロダクション各社の概要をまとめてみました。

記事をネタにした恐喝は明治初めから

組織内不祥事や不品行を訴え出る場がないなぁと、思ったのは15年ほど前のこと。ちゃうど書物蔵が始まったのもその頃(*゜-゜)
どんな組織だって人間が構成しているんだから、いい人もいれば悪い人もいる。それはどうやって記述されるのか(´・ω・)ノ
そんな問題意識を持っていたところ、国会図書館にない本のジャンルに業界紙があるなぁと気づき、また業界紙は総会屋雑誌とジャンル的に隣接して忌避されることがあったこと(1981、82年の商法改正施行まで)、戦前のも戦後のも雑誌新聞の悉皆リストは総会屋雑誌避けのために売られたことにも気づいたことから、2011年ごろから本格的に総会屋雑誌史を追っかけはじめてゐる。
総会屋雑誌という概念は、株主総会、つまり株式会社の設立(日本郵船明治26年)と連動しているので、もっと広く、ブラックジャーナリズムを捉えたいとて「取り屋雑誌」なる言葉を最近は使っておるのぢゃが、いろんな呼び方がある。
なれば、とて呼び方にこだわらず、事業モデル(記事にするぞ/したぞ、と言ってお金をとる)の概念規定のほうを優先させて、いろいろな事例を集め中( ̄^ ̄)ゞ
いま一番初期の例はこれぢゃ。

本所松井町三丁目八番、中川茂吉方同居の林稲之助と、下谷長者町一丁目、佐野金之助方の掛り人、佐藤清助の二人ハ、兼て新聞のより呼売を渡世にしてゐたが、思はしい銭の取れぬ処から、フト悪策を考へ、
去二日に浅草公園地の茶店、柏倉きみ方へ行て
「お前さんの所でハ御法度の密売をやる事ハ何より証拠此通りの投書がある。新聞社へ届いたので分つたが、新聞へ出されたら迷惑をするだらふと、其処ハお互ひづく。お前さんの噺次第で新聞屋の方ハどうでも」とかなんとか、いひ掛りをして、
偽投書をびらつかせてゐる処を、早くも、おきみから其筋へ訴へたゆゑ、忽ち二人とも拘引になり、段々糾されると全く投書をこしらへて銭をねだりとる積りの事を白状したので送りになり、昨日、稲之助ハ40日、清助ハ三十日の懲役になつたのハ新聞売子の悪習を矯る何よりの見せしめで有ります。
『東京絵入新聞』(1096)p.1(明治12.2.9)

なるほどである。
これを分析するに。
まづ、脅したのは「新聞売子」。形式的にはこれは販売員なれど、おそらく新聞紙のごく初期の段階では、「探訪」(取材記者)と売り子は分化していなかったのではあるまいか。後の記事で(奇しくもこのまえ高円寺で拾った「新著月刊」最終号にのっていた記事で、その日の次の日、ツイッターでキングビスケット先生に採録本のことを聞いた)、探訪がさかんに悪いことをしたと書いてあったことからの類推ぢゃが。
「密売」に「ちこ」ないし「ぢこ」とふりがながあるが、ちとわからぬ。隠語か? 文脈からして密売淫のことだろう。つまり、浅草公園付近の「茶店」は大抵、密売淫をしている「曖昧屋」だから、どこでもいい、茶屋を対象に、おまえのところは曖昧屋だろう、投書が新聞社に来てるんだぞ、と言えば、お金をもらえると二人の新聞売子は考えたわけである。
ところがこの柏倉の茶店は曖昧屋ではなかったのだろう、恐れながらと警察へ訴え出たので、二人は捕まり、これこのように記事になったというわけだ。
「新聞売子の悪習」とあるから、明治12年段階で東京絵入の記者は、売子の「悪い習慣」つまり、結構前から「習慣」化していたことを暗に認めているということも、分かる。
もちろん、自分のところはそうでない、という確信ないし信念が記者子にあったればこそ、この記事を書いたんだろうとも言える。
いろいろ敷衍できる貴重な記事なり。
つまりぢゃ。
明治初めから、取り屋的な活動は雑誌新聞の周辺で発生していた。例えば1879(明治12)年の東京絵入りはかように報じているが、文言から、しばらく前から習慣化していたことがわかる、
ぐらいのことがスグ書けちゃふ、といふわけヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャ
https://pbs.twimg.com/media/D-1SDwqU8AA0A_7.jpg

20190717追記

あとでヨミダス見たら、まさしくこれと同じ事件が報道されていた。KWは脅迫と新聞だったか。恐喝もありだねぇ。

フーコーの、交差配列(キアスム)

地下書庫にてこれを読む(σ・∀・)

なーるほど
ってか、ちゃんと学科の蔵書にあって他専攻にないのは意外であった(´・ω・)ノ