書物蔵

古本オモシロガリズム

てっちゃんの出羽の守の話と、兼業問題

てっちゃんに、国会図書館で「出羽守(ではのかみ)」と揶揄された、小田, 泰正, 1913-1993 || オダ, ヤスマサ のことを聞いたら、こんな返事がきた(´・ω・)ノ

昭和三十年頃からの館務〔、〕一般(国会以外という意味)レファレンス*1の構築、ついで電算化業務のex-tentionを担当せられた小田氏のこと、ナカナカ〔、〕キヨホーヘンを実感されてか、もはや肉声でない「歴史的人物」(まるで日曜日は夜⑥〔チャンネル〕あたりでやるクイズめいた劇画?でしょうが多分に縮約されたい)「三十年史」資料編などで職歴を思い出しながら大きく前半期、斎藤〔毅?〕、小田〔泰正〕、小笠原、鈴木などの〓〓におののき、宮坂、田辺、外坂〔?〕らにくっついて「世紀の大移動」*2「日本の参考図書」など汗を流した頃〔を〕ほのかに重い出します。
「Reference(レファレンス)を「岡倉〔由三郎〕英和辞典」で引いてごらん、「アメリカのスラングで“おせっかい”を意味する」と出ているぞ」などのギャグをまじえてRS(レファレンス・サービス)の構築を〓〓に紹介(アメリカのお金で―福田直美女史のリーダーシップの下に―アメリカナイズされたが、底辺には京大の日本史も学んでいた大塚(東京文理科大)史学科(オカンタウの失業?でもあった)昭和十年代大学卒業〓で終わりかけた「大学生の教養」がけっこう〓盤になっていたまぶしさおかしさを実感したものでした。
「日本の参考図書」のちの季刊のサプリメント(〓4判)もふくめて「人文=稲村、科学=宇賀」とアシスタントをしながら内外(NDLの)峻勇のドラフト(素稿)に縦横のメスをふるい、鳥居攻(国際文化会館)福田女史のお城〔?〕に通ったことなど…偶然(平成2年6月)同日付で停年退職した“山がさん”どうしているかしら。音信不通だが上野や聾唖音一の音出セ〔?〕サービス(術語思い出せない!)につくした宇賀さんOB会名簿にものっていたが、ぜひヒアリングされたらよい(上野時代から彼を知っていた小田さんだから、私と彼をくどいて「日本の参考図書」を完成してくれ、後年兼業問題*3でやけどした時は高見の見物視で、ウラツラ〔恨みつらみ〕を感じたが〔、〕いつも“L・Cでは”と言うので「出羽守」とあだ名がついた好人物?でもあり〔、〕まあなつかしい一人でもあrました。

文中にある「兼業問題」はいま文献を探したが出てこない。磯村英一, 松浦総三 編. 国立国会図書館の課題. 白石書店, 1979.10あたりに出るかしら?
かういった口伝で伝はってゐる重要性を文献で裏付けるのはなかなかにムズイ。

*1:来館者レファ

*2:赤坂離宮から永田町「4新庁舎」への移転。1961年。

*3:NDL幹部がJLA役員を兼ねていた慣例が問題とされた事件。JLA衰退の要因となった。