書物蔵

古本オモシロガリズム

小林鶯里の文芸社

きのふ届いた広告総覧大正15年版を見ていたら、こんな記述が。

文藝社 東京市牛込区新小川町四
【創立】大正十一年二月十一日
【組織】個人
【店主】小林善八
【創立以来の事業概況】明治三十五年二月十一日文芸通信社と称し、全国新聞社へ創作物文芸記事の供給を創む、これ新聞社へ原稿供給事業の嚆矢とす、大正十一年二月十一日出版業を開始し文芸物の図書を発行したるが大正十二年九月大震火災の為め紙型全部を焼失し、同月より『国民叢書』を刊行し既に五十余種百五十万冊を発売セリ、其の他の出版物は歴史物と文芸物、雑誌『文芸』を発行す
【大正十四年度広告費】三万円
【契約新聞】五十新聞
【同一ケ年広告費】三万円
【契約取扱店】博報堂

小林, 鶯里, 1878- || コバヤシ, オウリ, こと、
小林, 善八, 1878- || コバヤシ, ゼンパチ,
この人、いちど調べたんだけど、没年がはっきりせんのよ。

小林善八の没年は不明

わが愛すべき『出版文化人物事典』では没年不明。『図書月報. 複製版』(ゆまに書房)の別巻「解説」(pp.5-18)で彌吉光永は、没年を「一九四〇以降か」と推測。
しょーがないので『出版通信・出版同盟新聞. [復刻]』(新文化通信社, 2001)を、善八最後の出版時以降から見ると、昭和18年2月号(p.4)に「小林鶯里氏次男博氏」が享年34で死去した訃報があるから、こりゃ、このころまで生きてゐたんだなぁ。小林善八はこの時、65歳だったはず。
戦後の人名事典類に出てこんから、小林善八は戦災死したか戦後のドサクサでわからんやうになっちゃったと考へてよいだらう。