小林オーリが、西鶴を発見したのは淡島寒月なりといふ主張をするとこで、チトおもしろきことに言及してゐる。
- 小林鶯里「隨感隨想」『文藝 : 純粹文藝雜誌』5(10) p6〜9(1927.10)
明治十二三年の頃、彼〔淡島寒月〕は図書館の常連であった。当時彼は日々弁当を携へて図書館に通ひ、「宴席十種」七十巻を全部謄写した。館員其根気と物好きとに驚き、彼を「宴席十種の先生」と読んだ。偶々石橋思案が館員より之を聞いて大に奇とし、乃ち一日彼を訪ふた。彼思案に告ぐるに西鶴を以てし、思案由って之を紅葉に告げ、且つ求むる所の「好色一代男」を示した。紅葉読みて大に喜び、之より熱心なる西鶴研究者となった。
当時露伴は未だ名を成さず、兄妹の脛を囓りて家に在った。而して諸子百家の書を読まざるべからずとて、音楽学校奉職の妹より、一日五銭の小遣を頂戴して図書館に通ふた。宴席十種の寒月は図書館の常連である。諸子百家の露伴も亦常連であった。此に於て彼等は相知ることを得て、露伴も亦西鶴の研究者となった。(p.6-7)
ここに出てくる図書館ハ。日本第一文化の都。たったひとつの官立の。東京図書館に違ひなし。さても当時の館員ハ。ものわかりたる御仁ニテ。だれとだれとが相識るべきか。わかった上で紹介し。文化発展文明進展。明治の御代の有難さ。