書物蔵

古本オモシロガリズム

パーソナル・エイドって何さ?

レファレンス・サービス史の話には、かならず「パーソナル・エイド」という複合語が出てくる。そのくせ、一過性の個人的なエイドではレファレンス・サービスとはいへんのだともある。
パーソナル・エイドという時、パーソナルの意味が問題となろう。司書が行う、という意味なのだろうか? いやしかしクラークやページがやるサービスなぞ、ヒドイ言い方だがそれはある種、机やいすがサーブするのに近いと思われるわけで、「司書が」というは表層的な顕れ方にすぎず、本質的には〈システムでなく人が行う〉という意味に解すべきだと思う。
というのも、近代的な目録規則や十進分類、あるいは件名システムがフォローできる部分(かつてはカードが、現在は電算機がハードとして機能するシステムだった)は、システムに任せておけばよい。逆にシステムに任せてきれない部分は、それは人的な手当が必要ということだ。
システムで対応できるニーズはシステムでというのが、電算機発明前からの近代図書館学の流儀だ。カード目録の体系は、システム書誌と呼ばれるが、まさにシステム的に利用者にサーブする書誌なわけで。それで対応できない部分は人で、という意味でパーソナル・エイド。