書物蔵

古本オモシロガリズム

和田洋一の新聞学

  • 前田 裕晤,山口 功二,渡辺 武達 草創期の「新聞学専攻」前田裕晤さんに聞く 同志社メディア・コミュニケーション研究 18801811 同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター 2006-03  3 294-304 http://ci.nii.ac.jp/naid/40015315016/ Z71-N397

(三)新聞学講座の開設
 なおここで是非ふれておかねばならないのは、この年〔1941年?〕から新聞学の講義が正式に始められたということである。新聞学の講義については、早くから英文科学生の中から設置への希望が表明されていたもようで、教授会としては、大阪朝日新聞社、大阪毎日新聞社に講師の派追を依頼し、三回あるいは四回連続という形で不定期の講座を開いていた。それが昭和一六(一九四一)年からは新聞学の講義に単位を認めることになり、文ママ芸学専攻では必修、厚生学専攻と英語、英文学専攻では選択ということになった。当時、阪神在住のジャーナリストで、新聞にかんしての講義を一年間毎週やれる人はいなかったし、講師は入れかわり立ちかわりということにならざるをえなかった。昭和一六年度の文化学科教授会の記録をみてみると、『大阪毎日』より左の人びとを推薦してきたとして、下田将美(編集局長)長野敏夫(調査部長)板倉進(外信部長)の名前があがっている。下田は「新聞学総論」担当ということになっているが、実際は学生が毎日新聞社を見学したときに話をするというだけのこと、長野は「ジャーナリズムの歴史」を二回、板倉は「欧米問題と新聞」を二回、「東亜問題と新聞について」は人選中でこれも二回、そして『大阪毎日』側の世話係りとして文化部記者井上靖の名前が出ているのは興味が深い。なお『大阪朝日』は講師の候補として学芸部長で、現在は日中文化交流、アジア・アフリカ作家会議などで活躍している白石凡の名前を出してきている
 一六年九月からは放送学講座も開設されることになり、同志社の依頼に応じて NHK大阪中央放送局は、竹越和夫(文芸課長)弓島輝夫(教養課)布留武郎(教養課)の三氏を講師として派遣することを決めた。九月六日、大阪放送局の正午ニュースは、同志社大学文学部が他大学に先んじて放送講座を開設したことを伝え、七日の『大阪朝日』もそのことを記事として報道した。
 戦前、新聞学の講座をもっていたのは、同志社以外は東京帝国大学明治大学早稲田大学の三つであったが、特に放送にかんしては、講義らしい講義はどの大学でもおこなわれていなかったはずである。

新聞学の講座については、これをどのような形でつづけていくか、文学部教授会のあいだでも問題になった。アメリカ占領軍は、日木の大学がほとんど新聞学の講座をおいていないことに奇異の念を感じたようで、とりあえず戦前新聞学の講座をおいていた大学に、その講座を一層充実するようすすめたり、はげましたりした。日本新聞協会は、アメリカ占領軍新聞課と日本の大学とのあいだに立って世話役をつとめ、新聞学の講座を充実しようとする大学に補助金を出した。関西では、同志社関西大学のほかに、国立の神戸大学まで補助金をもらうことになった。

ほほぅ(゜∀゜;)