書物蔵

古本オモシロガリズム

Ars longa, vita brevis.

ネットでしばらくまへから国会の図書検索システムが話題になっとるやうである。わちきも旧NDL-OPACは日本国内でほぼ唯一件名をまともに検索できるOPACとしてここ何年も愛用してきた。また、収録データの分類に通じレバ(ってたいした知識じゃない)、戦前の未知文献*1を見つけるのも思いのままで、古書探索におほいに役立てたものぢゃ。
リニューアルしたとて使ってみたらバ
んー(  ̄▽ ̄) これはどーしよーもな(*´д`)ノ
って、むかーし一度論じたけど、

書誌データは長し,しかしてOPACは短し
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050614/p2

長期的にはデータのほうが大切で、OPACなんて10年ごとにテキトーなの買うてくりゃあいいと思っているからドーデモいいっちゃあドーデモいいが。
しかしこれさぁ、使ってみてスグわかったけど、海外だったらフツーのOPACぢゃん(ん?(・ω・。) 某先生が数年前言うとったことの繰りかへしだったりも( ^ - ^ ; )…)。それにトンデモないデータをまぜこんで作りこんだりなんかしよるから、どーしよーもな。使えないものにワザとしちまってをるやうなもの。
ま、日本語処理がぱっとせんのはショーがないとして、最大の問題は、海外じゃあ図書館が責任を持ってをらん記事索引をむりくりくっつけて、そのデータがみーんなノイズになっちまっとるところ。

著者典拠殺すにゃ似非標目の混排がイチバン

分かりやすい例をひとつ。
いっちゃん右のタブ「検索語一覧」っちゅーワケワカランとこなんぞ、いかにも海外では伝統的な図書館目録っぽいものなのだが、これを例えば著者「中島△京子*2」で検索すると、次のような一覧が表示される。

書誌数 著者
1 中島, 京子, 1931- // ナカジマ, キョウコ -
30 中島, 京子, 1964- // ナカジマ, キョウコ -
59 中島//京子

1931年生まれの中島京子さんで1件、1964年生まれの同名異人で30件の書誌があるというのはいいけれど、何年生まれかわからん3人目が出てきて59件も本を書いたとでてきとる(×o×) すごいっつ! 1964生まれの直木賞作家よりもたくさん本を書いている人がいるぞっ!ビシッ
って、これクリックすりゃーわかるけどただの雑誌記事データ(-∀-;)
エライよなぁ(*゜-゜) 自分等がわざわざ手間かけて創った典拠データの意味を殺すようにただの記述でしかない雑索著者名を混排して表示るするなんて(σ^〜^) ただでさえ典拠なんて手間ばかりかかってナニヤッテルカワカンナーイって素人に言われるのを、確かに役に立たないようにしている。この中島//京子の例では、2つの手間かけたデータ*3と1つのただの転記*4を、海外では無意味だからやらないところをあえて混排表示させて、結局、よくわからないデータ3つをつくりだしているなんて!
とてもきちんとしたデータ2つとそれなりにきちんとしたデータ1つを併せて、よくわからないデータ3つのできあがりー(-∀-;)
って、せっかくコントロールされたデータが一覧された場合にはとても便利な「検索語一覧」機能の存在そのものをダメにするデータが混ぜこんであるぢゃん(σ・∀・)σ ん?(・ω・。) もすかすて、それが狙いなのっ(*ω*;)´´ さうでしょ、さうなんでしょ(σ^〜^) たしかにこんな中途半端なことしてたら、生年も読みも分かち書きも無関係に、ベタうち「中島京子*5の1種だけのデータを作ればいいもんね。熟練工の31手間と半熟練59手間(と非熟練1手間)などふっとばして、非熟練92手間の1つの標目*6、それも均質な92手間に至る途ぢゃ。だとしたら帝国政府の深謀遠慮といへはすまいか。人件費大幅削減も狙うとはさすがぢゃ。

ありがたき帝国政府の水道事業?

そんなロードー問題はドーデモいい。利用者側からたとえると。。。
水を飲もうとおもって水道の蛇口をひねったら、だいたい真水がでてくるんだけど、アトランダムに何秒かだけコーラがでてくるという具合(。・_・。)ノ
いやサ、そりゃわちきだってコーラぐらい飲むケド、そりゃ、「コーラ飲もーっと」と思って、自動販売機から缶を取り出して飲むことになって(決めて)いるわけで。。。

わが国臣民でコーラを飲まない者はいないと判明した。ソコデ帝国政府は画期的な水道事業を始めたのであ〜る。今まで自動販売機から飲んでいた分量だけきちんと、水道の蛇口からアトランダムにコーラが出るようになったのだ。臣等は自動販売機を操作する手間が省けて便利であろう。

といわれているよーなもん*7
あのねぇ。。。
検索システム、とくに図書館目録っちゅーのは、使っている側が「いったい自分はいま何をどれだけ検索できているのか(いないのか)」把握しながら何度も検索を繰りかへす、っちゅーことが重要なわけで。
あてがいぶちで1回だけなんでもとにかく検索結果がでりゃあいいだろう、ってーのは、オモチャとして検索システムを使う人だけだよ。調べ物には邪魔くさくてしょーがない。なーんて言ふわちきはトーテイ臣民にはなれんねぇ。。。
でも、新しい検索システムを構築したい、ってー輩は必ず、グーグルみたいなすべてをマージして(溶け込まして)、判断もシステムに預けさせて使用者に判断させず、1回だけの検索結果で完全なものを出す、とゆーシステムを開発しようとしちゃうんだなぁ。。。
グーグルのほうが100倍、いやそれ以上もアタマの良い人材や予算を使っているとわちきは思うんだがの。それと同じことを100分の1以下の人材や予算でやろうというのはなんとも勇気があるのー(*´д`)ノ

*1:自分の知らないものを論理的に見つけることが可能。

*2:△(スペース)を入れない中島京子だと1件ヒットしちまうのがまたどーしよーもな。0件のほうがまだマシ。

*3:正確には1+30回の熟練工員による手間、つまり31回の手間

*4:59回の半熟練工の均一なデータ

*5:これなら1件だけある博士号を取った中島スペースなし京子も一覧にでてくる。

*6:もはや標目とは呼ばれないが。

*7:水道のたとえは、「書誌ユーティリティー」にひっかけとるんよ。