書物蔵

古本オモシロガリズム

圭角のある人はこれだから…(・∀・`;)

わちきがある事情から、ちと興味を持っている『図書館学講座』
これの初号と最後の号にそれぞれ毛利宮彦のことばが載っている。

発刊に際して
 本講座もこゝに発刊することを得た。斯るものを世に出すに至った動機については、自分としては実に血の沁み出るやうな苦しい体験を物語らねばならぬが、それはそれとして、自分が八年間の大阪毎日新聞社に於ける記者生活から転退して、(云々)
 それに日本の図書館界は大体に於て、相変わらずの官僚主義で広い意味での民衆生活とは何等の接触もなく、従って当業者の職業的市も未だ以て充分に確立されて居ない。一口に言えばケチ臭く陰鬱なのである。(略)
  一九二八年六・一五 毛利宮彦

あーあ(・∀・`;) 「日本の図書館界は〜一口に言えばケチ臭く陰鬱」なんて言っちゃって…
ってか、にゃんでこんなに口ぎたなくののしるのといふと、つぎに引用する終刊の辞にお答えが…(・∀・)

終刊の辞
 (前略)仰も此事業の発足を思ひ立つた時、一応は斯界に於ける恰も鞍馬山の大僧正の如き、大先輩に対して伺ひを立てた所が、大喝一声――マサカそうでもなかったが――言下に否定されて終ったのでした。ツマリ日本の斯界の現状では、それは大なる経済的犠牲となるに過ぎない所の、馬鹿の骨頂の仕事であると言ふのだったのです。ところが自分としては、どうしても此「馬鹿の骨頂」たることが、思ひ切れぬ。而も一方では、「ナニ冀[ママ]ツ」といふ、反発心までが湧いて来る。とうど[ママ]うタヾ一人で、誰人の考慮も煩はすことなしに、此の「図書館学講座」なるものを生んで終つたのでした。(略)
 かくて、本講座は終つたのです。始め「雑誌三号」の事例を以てして、講座の永続性について冷笑したそのご本人が、この終巻を見ない中に夙くも、自分の首が館から飛んで終つてゐたといふやうな、皮肉なエピソードを生んで、巻を了つた次第であります。
 (後略)
  一九三一年四月一日     図書館事業研究会
                      毛利宮彦

ということで、この「斯界に於ける恰も鞍馬山の大僧正の如き、大先輩」にして、「講座の永続性について冷笑し」「終巻を見ない中に夙くも、自分の首が館から飛んで終つてゐた」人が誰なのか、ということなのぢゃが。
じつは昭和11年の『図書の整理と運用の研究』の「自序」で感謝されとる次の人々は除外してよいやうに思ふ。

植松安 田中敬 橘井清五郎 坪内雄蔵 和田万吉

必ずしも館長とは書かれてないね。
市島謙吉か、今沢慈海か、湯浅吉郎あたりのだれかじゃないかなぁ(σ・∀・)σ