書物蔵

古本オモシロガリズム

島影, 盟 (1902-1983) ‖シマカゲ,チカイ

人名事典を引いて見たんだけど…(´・ω・`)

人名事典で「生涯はまったくわからない」とあるが

「人物レファ事典」(日外)には、悪名高き「社会運動史人物大」5vols.(日外1997)にありとあり、それには、アナ系の「日本無産派文芸連盟」メンバーとある。生涯はまったくわからん、ぐらいのことがかいてあるから、この「社・史」を補完するはずの「アナ人名事典」(ぱる2004)を見てみたが、そこにも、「のち歌人として単価雑誌に作品を発表していたが、生涯は不詳」とある。『戰爭に對する戰爭』(南宋書院 1928 復刻:不二出版1984)に「麺麭」という戯曲を書いたということで、これらの事典に載ったわけ。
でも、同姓同名だし、年齢的にも、アナキスト劇作家の島影盟は『読書の技術』ほかの本をたくさん書いた島影と同一人物にしか思えないんですけど(*´д`)ノ
って、よくみたら「社・史」も「アナ人名」もおんなじヒトが執筆担当じゃないすか(×o×)(大和田茂)。
見切り発車したという「社・史」のデータを、そのまま使ったのではでは(・∀・)
アナキスト島影メイと、著作家島影チカイは同一人物なのかどうかは、チカイさんのほうの情報をじっくり調べてみるのがはやいね。

著作家・島影チカイについて

現代日本執筆者大事典〔初版〕』佃実夫編(日外1978-1980)のv.2,p.778にあった(新版にはなし)。
しまかげ・ちかい 著述業 人生論 明治35年2月18日生まれ
この時には、日高町(埼玉県)に住んでいたとある。
NDL典拠は「島影, 盟 (1902-1983) ‖シマカゲ,チカイ」となっていて、いったい何を根拠にしとるのかワカランが、「執筆者(初版)」に従って、すくなくとも、著述業で人生論を書きまくった島影さんの下の名は、「ちかい」と読んだほうがよいようである。

でもやっぱり、島影盟はひとりだけでは

わちきの推測では、若いころ島影盟さんはアナキスト劇作家だったんだけど、転向して、国文のほうへいったり、民俗学をやったりしてるうちに、宗教に興味がでて、最終的に人生論の専門家?になっていったように思える。
それの、極めて強力な傍証として、つぎのものを挙げたひ。

青年時代、文化運動に参加し、また、演劇に関係したりもしたが、その後、啓蒙的な教養書の著述につとめ(略)
(日本に警告する30章 / 島影盟. -- 泰光堂, 1964 p.181 著者略歴より)

どですか(・∀・)
「演劇に関係したりもしたが」って、島影チカイさんは言うてをりまするが(*´д`)ノ