書物蔵

古本オモシロガリズム

脱走兵・里村欣三

今回の関西行きで拾った本を読んでたら、なにやらココロに残る一節が。
里村欣三という帝国陸軍から脱走した後、自首し、のち、陸軍のお目こぼしにあづかって文学者となったが、「昭和十九年末、もはや軍用機すらフィリピンへ向けて飛べなかった最悪の状況下で」、「強引に比島戦場へ渡った」人。著者によれば、ほどんど自殺のようなものだという。

人は里村欣三を転向者と呼ぶ。〔略、私はそういった〕非難をそのものとしては認めない。彼の作品がファナティックなファッショ文学であろうと(それはそうにちがいないが)〔略〕、それにもまして、里村欣三が、あわれてあり悲しすぎてならないのだ。
私には、フィリッピンの戦場で、この国の全文学者の中のただ一人の戦死者となってしまった彼を、「あわれをとどめたのは里村欣三」だなどと、軽蔑をこめた語り口で評することはとうていできない。〔略〕不幸、爆弾の直撃を受けて飛ばされた里村が、どうして寄ってたかって足蹴りにされなければならないのか。
死んだと生きたとで、こんなにも評価がちがいすぎるのは、一体どういうわけなのか。この国の「評論家」による戦中行動批判は、おもいつきでありでたらめであり、勝手であり無定見でありすぎる。
戦争文学通信 / 高崎隆治著. -- 風媒社, 1975 p.43-44

うん。

死んだと生きたとで、こんなにも評価がちがいすぎるのは、一体どういうわけなのか。

高崎隆治氏については、福島寿郎さんの『大東亜戦争書誌』の書評を、このまえ『図書館雑誌』に発見して知ったという、書誌的には晩学のわちきではあるが、なかなかに独自の立ち位置で(だから最近は第三文明社から本を出しとるのだろう)、気にかかるお人ではある。
たまたま長生きして自己弁護できたお人は免責されたり称揚されたりし、戦死、戦災死、早世した人々が忘れられ、足蹴にされるというのでは、たしかにやるせない。
これは、日本図書館史にもいえることですなぁ。