書物蔵

古本オモシロガリズム

せっかくの福永先生の本が

今年の1月に入手した福永先生の本をぱらぱらと。
書評でもしてみんべ、と思ひて、日本全国書誌のデータをひっぱってみると…

図書館社会教育の実践 : 中田邦造の読書指導と自己教育論 / 福永義臣著. -- 福岡 : 中国書店, 2006.3. -- 257p ; 22cm. -- (九州国際大学教養学会叢書)
ISBN 978-4-924779-96-9 ; 4-924779-96-2 : 6000円
NDC(9): 010.4
図書館と社会 ; 社会教育 ; 読書指導 ; 中田 邦造 (1897-1956)
JP: 21166453

なんじゃこりゃあ!

全国書誌のマチガイデータ

なんだか分類・件名がヘン!
主たる主題は、「中田邦造による読書指導」なんだから、

s1 読書指導--歴史(--昭和時代) s2 中田邦造 (1897-1956)

だけでいいんじゃないの。

特定記入の原則は?

「図書館と社会」「社会教育」とか、<(公共)図書館関係書ならほぼどんな本にもつけられるような件名>なんぞつけられちまうと、ノイズになってしょーがない。こんなんでいいなら、ついでに、「図書館」とかって件名だってつけられちまうぞ。これを付与した人は、分類と件名のちがいがわかっとらん。ってか、件名をまるで、分類*1のように誤解しておるのだ。
っちゅーか、はっきりいって、件名の大原則「特定記入の原則」に反する典型的なマチガイだよね。なさけな。
それに改善改善ったって、現場のスキルの低下でノイズ件名ばかり増えて、一方で必須の情報ともいえる時代細目がつけられないよーじゃあ、やっぱり件名なんぞ要らん、とゆーことになるですよ。ばからし

NDC序文への反逆?

分類もおかしい。010.4だと、(特定の時空に限定しない)図書館あれこれという分類。
015.6 読書会 が正しいんじゃないの。
形式区分-04とか-02とかの補助記号をつければ、たしかに見た目のケタ数が多くなるから、一見、まじめに主題分析して、分析深度が深いように見えてしまう。けど、補助記号を使うために本来の主題の部分をちぢめるという措置は、そもそもNDC9版の序文で「認められない」なんて書かれてることだよ。
いま、ジュンク堂の検索でNDCをみたら、019.2(一般読書論の下の「読書指導」)がついておる。なるへそ。これもまた妥当なNDCのひとつじゃ。中田の行った「読書指導」があくまで図書館関係のものとして記述されているとインデクサーが受け取れば015.6へ、そうでなく図書館に限らず社会一般なのだ、と捉えたインデクサーがいれば019.2がついちまうという理屈。
ただ、これ、010.4では絶対にないのだ。

と、さんざ文句をたれてみたが

以上、整理技術的な文句をたれてみたが、それ以前の問題として、そもそも、インデクサーが本の内容を把握できていないという可能性もある。
なにが「主たる主題」かわからなければ、いくら整理技術があったってダメですがな。もちろん、自分の得意領域でない分野はわかりづらいということはあるけれど、(単行本が出ないような)よっぽど特殊な領域でないかぎり、ちょっと調べれば、何が書いてあるかはわかるはず。
要するに、アブストラクトするチカラがインデクサーになかったのだなぁ。
本なんて、何千何万という単語の羅列なんだから、漫然と読んだら主題語が10ぐらいすぐ振れるですよ。
それを抽象化していくのがコンピーターならぬヒトがやってる利点だと思うが。
整理技術の問題なら、知らないものを教えればなんとかなる。「あんたは件名を分類と誤解しとる」とか、「資料組織化の教科書を読んでみろ」とか。でも、アブストラクトするチカラがもともとない人に、そのチカラを教えるということは、これは至難のことですて。
大学教育とかは、つまり、それを教えるところではあるまいか。けど、これって、年間100万円ものカネと、4年から6年の時間、そして手間をかけて、なおかつ、あまり成功しとらんねぇ。
と、せっかくの福永先生の本を書評しようと思ったら、とんでもない方向にハナシが行ってしまった(^-^;)

*1:記号や数字の代わりに、コトバで階層分類を表現する分類法もある。国内では大宅の「件名」がこれに近い。