書物蔵

古本オモシロガリズム

恋愛図書館小説

そのうち、『図書館内乱』も読まねばのう、と思う。
というのも。
図書館雑誌』11月号に、「『図書館戦争』刊行をどうみるか」という、不思議な文章が次号にのると予告されていたのだ。
投稿やチャターボックス(投書欄)で、「読みました。おもしろかったです。」という感想文がのるのは、そりゃあもちろん、結構ではある。
が。
本体の論文記事に「どうみるか」ですか(゜〜゜)うーむ。

有川浩図書館戦争』刊行をどうみるか

どーもこーも、小説だからなぁ。小説、戯作として受容するしかないよ。
それともなんですかい、『これからの図書館像』(2006)みたく、政策文書として賛否を明らかにすべきですかい?
ちなみに『図書館戦争』のほうは、不倫図書館小説ではありません(^-^;) 恋愛図書館小説だけど(*´▽`) ……
あっΣ(・o・; そういえば、「不倫」って件名はないね。「恋愛」と「姦通」の両方がてんでばらばらに振られているねぇ。これじゃあ、不倫について調べようと思ったら、両方の件名で引いた上でみてかないとしょうがない。おなじ概念はおなじ表現形にするのが件名の要諦だったのでは??? 件名標目表の scope note にはなんて書いてあるのかしら…
それはともかく。
1990年代後半からこのかた、図書館業界は退却戦を闘っておる。
おきらくごくらくな分析をされてもなぁ。びみょーにそんな記事がのりそうな予感…
図書館戦争』の感想は、いちど書いた。分析もした。

■[館]『図書館戦争』の感想(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060215/p2
■[館]いま・ここにある図書館戦争(『図書館戦争』の感想 2)(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060311/p2

流行る前だから読めたんで、流行った後では読まんかっただろうが。
続編をよまねば、というのも、いちおう読んでからじゃないと話がでけへんからね。とはいへ、わちきが批判したくなっちゃうのは、小説そのものではなくて、小説がウケたことを奇貨として、負けが込んでいる現実から目をそらしてしまう館界の人々なのだけどね。
船橋西図書館の件にしたって、最高裁でたまたま<「public forumの法理」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!>ってなったけど、あれは、わちきは、「たまたま」と見るよ。
それにこの判決にしてからが、

資料廃棄の裁量に、最高裁さまからじきじきに掣肘がくわえられる

という実務上かなりやっかいなものをかかえこませることになったのに、そのことについての議論はまるっきりぜんぜんないというのも、自由の理念派がどこまで実務のことを考えとるのか疑わせるに足る。
浮かれてると、ろくなことないよー。

自由派はちゃんと考えておるかね

図書館の自由でいえば、最近、国会図書舘が児童ポルノやらなにやらがらみで、どっからも直接の訴えがないのに閲覧禁止にしとるようじゃが。
わちきは、保守反動の悪徳インテリなので閲覧禁止そのものをいかんとは思わん(むしろ賛成だったりする)。が、どの本が閲覧禁止なのか、禁書目録を公開せんのは、市民の知的自由からいって、本質的にかなり危うい。
なぜに協会の自由委員会や館界の市民派がだまって見ておるのか、不思議じゃ。単に気づいていないだけなのか?
それじゃあ、1970年代の左翼的言説の良いところが受け継がれていないことになっちまうぞよ。
自由委員会はちょっとまえ、書誌DBの著者標目の生没年についてようやく内閣府に「「個人情報保護に関する主な検討課題」に関する意見」(http://www.jla.or.jp/jiyu/hogohoupubcom.html)なるものを出した(2006.10.27)。それはそれで結構だけど、これとて、「国民生活局企画課個人情報保護部会より意見募集があったので」という。意見募集がなかったら、どうなってたのだろうね(・∀・)

(2) (略)深刻な事例は、当該目録又はデータベースの作成にあたって同姓同名の著者を見分けるために著者の生没年、職業を著者名に付して同定することを行う(略)が、当該目録又はデータベースの検索結果として、著者名とともに著者の生没年、職業を表示すると、個人情報の「第三者への提供」に該当するおそれがあり、オプトアウトの対象となり得るということである。

「深刻な事例」ってゆーけど、この件で(言説空間で)マジメに騒いだの、けっきょくわちきだけだったじゃないの(そうでない、という御仁があればご教授ねがいたし)。

■[館]館界スキャンダル 著者標目の生年がなくなる(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060327/p2

もちろん、わちきが騒いだのは、「基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民」さま、なんて抽象的な存在のためじゃない。このわちきが困るのじゃ。古本を読むうえでの簡易人名事典として使っておるからの(http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20050726/p1)。慣例としても道理としても許され便利につかっているものを、新規立法において禁じられてもないのに自主規制・自己検閲(self-censorship)でやめようとするから怒ったのじゃ。
ずっと図書館言説を監視しとったけど、活字で騒いだ事例ってなかったのぅ。
これでわかったのだが。
おそらく、図書館員自身が、さして書誌データをまじめに使っておらんのだよ。
NDL-OPAC程度のもんを、奥深くて使えないだのって… それなら「資料組織化」なんて省令科目なんかなんであるの?
あとせっかくの「意見」だけど、これ、悪文だね。てか、法律文体まんまで、一般人にはわからない。国民生活局企画課員(役人)にはむしろこのほうが通じるって、わざとやっとるなら、まあ結構。でも、わざとでないなら、これ書いたヒトは普段、とんでもない悪文を書いておるのぅ。ヒトの短期記憶の関係で、1文で40〜60文字を越すとふつうは読めなくなるということを知らんのか。
とりあえず本多勝一『日本語の作文技術』でも読どけ。プンプン