書物蔵

古本オモシロガリズム

プランより状況、ポンチ絵より言語

ジュンク堂でサッチマンの本を買う。
プランと状況的行為 / ルーシー・A.サッチマン[他]. -- 産業図書, 1999.10
コピー機という情報処理ツールが、設計者の意図と異なる使われ方を(結果として)されるという研究らしい。わくわく。
あるところで技術決定論の文書を読まされ辟易す。ポンチ絵を多用した紙芝居の形式をとっているため論理構成の破綻が分かりづらくなっているのはワザとやっているのか(だとしたらエライが)。コンセプトそのものは、出来の悪い学部生のレポートみたい。バカの極み。
せっかくある先行事例の失敗を、コンセプト自体の失敗と見極められずに、利用側がバカないし怠慢であるとの論理で新規に機械の使用をおしつけんとするもの。
設計側の都合を利用者にそのまま適用せんというスタンスは昔からあり、友人が、帝国陸軍の機関銃マニュアルについて同様なことを指摘していた。
友人がみたマニュアルは兵士向けにもかかわらず、工学的構造について解説してるだけで、具体的な使い方・手入れ法については指示がないそうな(同時代、すでに米軍では本当のマニュアルがすでにあった)。
満洲ソ連軍がなだれこんで来た時。
すぐそこまでT-34が来てんのに、弾薬の保管係が「上司のハンコがないから弾薬は渡せん」と。
ぶんなぐって使ったというが…
日米戦争は、物量でも負けたが、こういった(目に見えない)文明の部品によっても負けたと考えるべき。
戦後日本の経済的成功は、米国直輸入の品質管理運動によるにすぎんし。
物量の欠如や皇国思想なんかを反省したってしょーがない。そんなことよりも、こういった文明の部品について反省すべき。モノにあふれた民主日本で同じ敗戦を重ねつづけることになる。足らん足らんはノーミソが足らん。
やはり学術(orおちついた思考)は絵でなく言語を使って展開すべきと痛感す。
去年だったか高円寺の古書会館で100円にて拾った下記を読了。とてもよい本だが、漢語が頻出し硬すぎる文体が難。じっさい、前の持ち主の書き入れは最初の数十ページで途切れているよ(・∀・) 日本人向けの啓蒙書なのだから、やはり、漢語ではなく、もそつと「やまとのことのは」をつかふべきではないだらうか、などと考えてみたりもする。
言語の脳科学 / 酒井邦嘉. -- 中央公論新社, 2002.7. -- (中公新書) プラトンの問題」が特にココロに残った。