書物蔵

古本オモシロガリズム

マイクロを見るときは…

目をつぶりませう

いや,マジで。
何年ぶりかで古雑誌をマイクロリーダーでブラウジングしたら,目が回って吐き気が(#+_+)
何時間も立ち直れず(-_-;
これは黒岩さんがいつもであっている症状と同じでは!(-o-;)
ブラウジングしたのがいけなかったみたい…
該当ページが映しだされるまで目をつぶるしかないっ!(≧o≦)ノ
でも…
そしたらどうやって該当ページをみつければよいのだろう…
なやむ…
って,なんでもかでもマイクロってのはおかしいのだなぁ。
都立図書館へ行こうっと。

追記:マイクロ資料論

('0'*)びっくり。ほんものの黒岩さん登場。いつも美しい書影ありがとうございます,なのだ。
マイクロ資料と吐き気」はいちど書いたのです。
けどこの話,残念ながらほとんど改善されることはないのぢゃ。とゆーのも,業界的にはマイクロ資料論は時代遅れのはやらない話だから。
もちろん,問題点(課題)は積み残したまま。
利用上の健康被害(目がつぶれる・吐き気をもよおす)という重大な問題がお留守になってるし,OPAC上の書誌エントリとマイクロの物理単位との不一致とかも,指摘はされるけど,そのまま。
原紙とマイクロの(両方あった場合の閲覧上の)使い分けの議論なんてのも,まるでないし。
マイクロ資料論の最盛期は1960から70年代。パソコンのない時代に専門図書館(企業の図書室のことを図書館学ではこう呼ぶ)の人たちがさかんにやった*1。けど結局,一般事務じゃあマイクロでなくパソコンが紙資料の代替メディアの主流になったんで議論はなくなった。
ところが大学図書館国立図書館ではマイクロ資料をずっと残さざるをえない,ということがここ数年であきらかとなりつつ。
マイクロ資料は次の2点でパソコンより保存媒体として優れている(と米国で評価されたらしいのじゃ。日本の図書館界は米国のオウム返し)。
・物理的安定性
・読み取り機の市場安定性
当分の間(この先,数十年単位で)大学・国立はマイクロと手を切ることはできないんだから,もちっとまじめに議論したほうがいいんじゃないのー

*1:それにメメックスもたしかマイクロ資料を使うんだった